<自己肯定感を高める存在>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「推し」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・「推し」は応援する+広めようとする
・「推し」にはお金をつぎ込む
・「推し」は宗教と似ている
◆「推し」がいる人は輝いている
「ひとつのことにのめり込める人は羨ましい」
という意見も複数から出てきました。
確かに、周囲から見ると眉をひそめたくなる行動もありますが、当の本人たちはほとんどが一生懸命で幸せそうに見えるものです。
この幸福感はどこから来るのでしょう?
「うまくいかない日常生活の中で、推している時だけが自分の存在意義を実感できる」
という意見がありました。
学校や職場で自分の居場所がない、必要とされていない、と感じるのは社会に生きる人間としてもっともつらいことの一つです。
でも、一歩「推し」の世界に入れば、そこは普段の地位や格差はリセットされ、別の世界の自分として生きることができる、現実逃避と言ったらネガティブに聞こえるかもしれませんが、ポジティブな活力になることは間違いないですね。
「週末にコンサートがあるから今日もなんとか頑張ろう!と思える」という意見がありましたが、こういう気持ちでしょう。
「推しは生命維持装置」というなかなか強烈な意見もありました!
「握手会とかの予定があれば、それにむけてダイエットできるし、身なりも整える」という、体のケアに良い効果があるとという意見も。
「推し」に触れている瞬間だけでなく、推しがいることでできる「予定」の存在が、また生活の張り合いになっているということなんですね。
◆友達ができる
もうひとつ、大切なものとして「友達ができる」というのを忘れてはいけないでしょう。
職場でもない、家庭でもない、しがらみとはいっさいかけ離れた場所での友達ほど心の癒しになるものはありません。
そんな友達と、好きな推しについて話しができるんです。
「推しはアウトプットである」という意見(名言)がありましたが、自分の中に溜まっているストレスを思い切り発散できる存在と考えることができますね。
◆推しがここまで注目されるのは?
ここまで「推し」についてちょっと深く考えてきましたが、どうしてこんなに「推し」という言葉が注目されるよになったのでしょう?
「オタク」という言葉は平成初期からあって、これはもうちょっと引き気味の表現であったような気がしますが、最近では「沼」なんていう言葉も流行ってNHKや民放のあるテレビ番組では、毎回講師のような存在として登場し尊敬を集めたりします。
誰でもSNSで世界中に情報発信できる時代だからこそ、どんなにニッチなものでも、注目を集めることができるいい時代になったということもあるでしょうか。
「効率性・マルチタスクを強要する現代のしんどさから、推しの存在による発散はますます重要度を増している」という意見もありました。
そこから、「沼」にハマりやすい人にはどんな性質があるのか?という話にも広がっていきました。
◆終わりです。
「推し」を全力で応援し、お金をつぎ込んでも、推しからの見返りはほとんどないかもしれませんが、それでもいいんです。
「推し」の存在によって、「こんな自分でも、誰かの役に立っている」という貢献感を抱き、自己有用感、自己肯定感を高めることができているんだなぁという感想を持ちました。
今回の哲学カフェは、「推し」を持つ方の熱い思いと、それに教えられる人、の構図になっていて、なかなかおもしろかったです。
これにて今回の哲学カフェのレポートを終わりにしたいと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
では、また!