主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「人類にとって『推し』とは何なのか?」 横川良明

<「推し」は最高のデトックス>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本。

 

内容<amazonより>

NHK「あさイチ」(10月5日放送)で、
「推しのいる生活」特集が放送された際、
史上最多の視聴者コメント数が届いたそうです。

今、注目を集めている「推し」。
「推し」とは、ファンであることを超えて、
誰かにお勧めしたくなってしまうほどに、
大好きな人や、もの、キャラクターのこと。

一体なぜ、「推し」はそんなに熱狂されるのか?
ファン(=オタク)たちは、
どうしてそんなに「推せる」のか?

この本は、「オタクあるある」から
「なぜそうしてしまうのか」の考察まで、
その笑いも涙もすべてを書いた、決定版の一冊です。
すべての推しがいる人に、
そして、ファンの心理について知りたい人にも、
ぜひ読んでいただきたいです。

◆この本は

 

ボリューム:★★☆☆☆(サクサク読めます)

読みやすさ:★★★★★(惹きつける文章)

気付き学び:★★★★☆(オタクの生態に迫ります)

お役立ち :★★★☆☆(役に立たないかもしれない、でも羨ましい) 

 

著者はなんと30代後半にして、イケメン俳優沼にハマってしまった男。

しかし彼から吐き出される熱量が、多くのオタクから「よくぞ言ってくれた!」と称賛の嵐。

「推し」を推すということはどういうことか?

その実態を最もリアルに語ってくれている本がこちら。

 

◆内容紹介・感想

この本を読むきっかけとなったのは、読書会のサークル活動としてやらせていただいている「哲学カフェ」において、「推し」をテーマに語り合ったことから。

 

その内容がこちらです。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

この哲学カフェでは、メンバーから「推し」について、さまざまな知見をいただき、アーダコーダと対話しましたが、

「やっぱり『推し』を持っている人は幸せそうに見える、羨ましい!」という声が多くありまして、

どっぷり沼にハマったことのない私においては、もっと知ってみたい!という思いでこの本をさっそく手に取ったわけです。

 

いくつかの筆者の名言を引用しながら、感想を書いていきたいと思います。

 

◆推しは心のストロングゼロ

・とにかく、日常生活においてはストレスのたまることが多い。

・そんなとき、推しの画像を見るだけで落ちた気持ちを引き上げられる。

・週末の予定があると思うだけで、つらい一週間を乗り切ることができる。

・推しについて語ることはとにかく楽しい、最高のデトックス

 

哲学カフェ内でも「推しは生命維持装置」という発言がありましたが、推しを持つことは自分の健康、特に精神的な支えに重要な役割を果たすようですね。

 

◆見返りなんて、あるわけがない

・オタクたるもの、自分が勝手に推しているだけという気持ちを忘れない

・恋愛というよりも保護者

・高揚感とか、楽しい思い出とか、そういったベネフィットを考えれば、対価としてはイーブン

・推しがくれるのは、もう一度本気で夢を見るための勇気かもしれない

 

推しにお金をつぎ込む心理については、「推しは宗教、課金はお布施」という発想がぴったりくるようで、もともと「どこかにお金を使いたい」という欲望と、「誰かの役に立っている」という貢献感がうまくハマって、お金を使うこと自体、快感を伴うものになっているのでしょうね。

 

◆現実世界を一度リセットして

・大のオトナがだらしない自分のままで過ごせるひと時

・推し活は集団戦。みんなで分担しながら情報を集め、一緒に喜び合うオタク友達の存在

・いくつになっても人生にはワクワクしたことが待っている

 

そうなんです。最初にも言及しましたが、なにかと競争を煽り、所属やヒエラルキーに縛られ窮屈な日常から、いざ、推し活に切り替わったとたんスルリと抜け出すことができるようです。

そこにあるのは足の引っ張り合いではなく、助け合いの世界。

別のヒエラルキーがあるかもしれないけれど、そこには普段抱えている年齢や地位とはまったく違う世界を楽しむことができます。

 

仕事がうまくいってなくて、「自分なんて何の役にも立たないダメ人間だ」という思いが募っていても、推しの世界に入れば人の役に立っていることを実感でき、仲間の尊敬を受けることだってできる。

そんな自己肯定感を高めてくれるのが、「推し」の最大の意味なのではないでしょうか。

 

この本を最後まで読んで、改めて「推し」を「推す」ということは、自分で自分のことを認め、好きになる一助となるんだなと感じました。

そしてそれは、先日の哲学カフェと同じ流れになったんですね。

 

このことから、やはり「推し」について抱いている熱い思いは筆者だけでなく、「推し」をおいかける人々の思いの最大公約数であることを感じたのであります。

 

あー、面白かった。

 

では、また!