<「何者か」でありたい気持ち>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は一昨日の続きで
「プライド」
について書いていきたいと思います。
一昨日の内容はこちら。
前回書いた内容としては、以下のようなものです。
・「良いプライド」・「悪いプライド」とは?
・集団におけるプライド
◆プライドはどこにでも生じるか
「プライドは小さい集団でも、大きい集団でもあるもの?」
という問いがありました。
それに対する別のメンバーの意見は、
「どんな集団であっても、分類できるものは、プライドの話ができる」
というものでした。
先述の「ジャイアンツ・プライド」、「○○大学のプライド」に始まり、色んな分類を考えてみます。
日本人としてのプライド、社会人としてのプライド、専門家(プロフェッショナル)としてのプライド、男のプライド、大人のプライド、親のプライド、○○教徒としてのプライド、、。
「自分の集団はこうだ」という固定観念を作ることで、「他と違うんだ」という意識を生み出します。
それがポジティブに働くこともあれば、ネガティブに働くと、知らず知らずのうちに分断意識を生み孤立や差別感情を生んでしまうこともあります。
「他とはちがうんだ」という優越意識を持って他を見下してしまうように。
この辺がプライドの難しいところなんでしょうね。
これがグループではなく、個人に置き換えてみると、「アイデンティティ」という言葉に置き換えてみることもできそうです。
最初に「自尊感情」という言葉が出てきましたが、自分は社会の中で「何者か」である、という意識、「社会の中で何らかの役割を果たしている」という承認欲求、そんな意識がプライドという言葉の中に込められているように思いました。
◆終わりです。
今回も、誰にでもある身近な話題でしたので具体例がたくさん出てきて、とても盛り上がったと思います。
以上で哲学カフェ「プライド」についての振り返りを終わりたいと思います。
ありがとうございました!
では、また!