<集団における行動規範>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「プライド」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・プライドが「高い」「低い」とはどんな状態?
・「プライド」とは?
・集団の中で自分の地位を保とうとする気持ち
・自尊感情を保つ
・身の丈に合わない無理
◆良いプライド・悪いプライドとは?
「良いプライド」「悪いプライド」に分けるとどうなるのか、という問いがあり、そこからまた哲学カフェは話が広がっていきました。
自らの道徳心を高める、集団の中での模範的な行動などは「良いプライド」、
自分を取り繕うための過剰な自己防衛は「悪いプライド」かなぁと思えます。
しかしながら、
「『プライドを捨てろ』という言葉」は、どうだろう?
という意見が出てきて、ことは単純ではないと気づくのです。
職場の先輩が、なかなか行動できない後輩に対し発した言葉だとします。
先輩は「きれい事だけで世の中回っているわけではない」と諭したい一方で、後輩は「自分の道徳心では、この仕事はどうしてもできない」と考えているかもしれません。仕事内容にもよりますが、両方の言い分ももっとものように聞こえます。
先輩はプライドが「邪魔だ」と感じ、後輩はプライドが「大切だ」と感じているし、そのプライドを捨てたことで、社会人として一皮むける可能性もあれば、プライドを捨てたことで、会社の暴走に加担してしまう場合だってあります。
ここから考えられるのは、「プライド」は感じ方によって「良く」も「悪く」もなりえるということ。
哲学カフェで「良い」「悪い」の話が出てきたときは、「『何にとって』良いのか、悪いのか」を考えてみれば話が展開する、という典型例かもしれません。
◆集団とプライド
「プライドは、集団のパフォーマンスを上げる」
という意見がありました。
「ジャイアンツ・プライド」という言葉が例として出てきましたが、プロ野球の巨人軍をブランディングするスローガンとして「プライド」が使われています。
それは髪型や服装などの身なりや紳士的行動を促す規範のような存在として、とらえられているところがあります。
その他「○○高校、○○大学プライド」というのも、よくあるなぁという意見も。
これらは、「集団の行動規範」を決めて、個々人の帰属意識を高め、結束を強め、結果として集団のパフォーマンスを高めていきたい、という意味合いがあります。
これも、ポジティブな面が多いように見えますが、
「軍国主義だったり、ちょっと危ない宗教だったりの場合、周囲と隔絶し暴走してしまう危険性がある」という意見もあり、これまた一筋縄ではいかぬものだなぁと感じました。
◆プライドはどこにでも生じるか
「プライドは小さい集団でも、大きい集団でもあるもの?」
という問いがありました。
この点に関しもう少し書きたいのですが、時間となりましたので、日を改めたいと思います。
では、また!