<「反省」はそこそこ高度な作業?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「反省」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・「反省」と「謝罪」はどう違う?
・反省を「求める」とはどういうこと?
・反省とは、本来どういう意味なのか?
・「外向き」の反省について
◆「反省」と「後悔」の違いは?
「次はバレないようにしよう」は「反省」なの?
これは面白い問いでした。
起こしてしまったことを振り返り、次は捕まらないように、あるいは、次はバレないようにしよう、と考えるのは「反省」とは違うのでしょうか??
これはやはり、反省のように見えて、そうではないように思います。
では、「次は怒られないようにしよう」
と言い換えると、どうだろうか?という問いが出てきました。たぶん、同じでしょう。
では、「親を悲しませてはいけない」
と言い換えると、どうでしょうか?という問いが新たに出てきます。
ちょっと意味合いが変わってきたような気がします。でも、やっぱり、本質的には同じような気もします。
こう考えていくと、「反省」は「行為の結果起こること」を気にしているものなのか、「行為そのもの」を気にしているのか、の違いが重要のように思えてきます。
つまり、行動の結果、捕まったり、怒られたりすることを、変えようとしているか、行動そのものを起こさないように、変えようとしているのか。
相手視点か、自分視点か。
この辺がカギとなってくるようです。
◆「反省」は高度な作業か
「反省」は自分で自分のやったことを振り返るとすると、結構高度な作業なのではないか?
という意見が出てきました。
これは確かに、と思うところがあります。
自分で「自分はどうだったか」を客観視すること。俯瞰するとか、メタ視点とか、言いますが、これは精神的に成熟していないとできないように思います。
ひとつの価値観に固定せず、複数の価値観を比較検討できること。
なぜ?を繰り返し、うまく言語化し表現できるような、抽象的な語彙をもっていることも必要となってきます。
「時には専門家の助けも有用。」
という意見もありましたが、自分の内面を見つめるということは、なかなか難しい作業であるのかなと思ったりもしました。
◆終わりです。
今回は「反省」という言葉を取り上げました。
実際の使われ方について、実例を出し合いながら考えてみると、この言葉の使用実態はなんとも奇妙なものになっているということに、改めて気付いたのでした。
そして、反省という言葉は決して「逃げ」ではなく、「逃げない」ために存在する言葉にしたい、と文字通り改めて「反省」するに至ったのでした。
これにて、今回のオンライン哲学カフェの振り返りを終わりたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました。
では、また!