<平凡な日常が、とてつもない贈り物>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容紹介<amazonより>
この資本主義社会で「お金で買えないもの=贈与」が果たしている役割とは何か?
「人間」と「社会」の意外な本質を、みずみずしく平易な文体で驚くほどクリアに説き起こす。
ビジネスパーソンから学生まで、
見通しが立たない現代を生き抜くための、発見と知的興奮に満ちた「新しい哲学」の誕生!
「一見当たり前に存在しているこの『世界』の成り立ちを、『贈与』や『言語』、『常識」の成り立ちを通して説き起こした鮮烈なデビュー作。
人間の『こころ』の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある。
ウィトゲンシュタインと小松左京の本書を通しての出会いは思考世界における一つの『事件』。
社会の見え方を一変させ、前向きに生きるために、この本を処方せよ!」
―――茂木健一郎
◆この本は
ボリューム:★★★☆☆(普通)
読みやすさ:★★★★☆(具体例が多いので解りやすいです)
学び :★★★★★(昨日より世界が見えるようになった気がします)
楽しさ :★★★★★(考えることを楽しめます)
贈与は現代の資本主義社会の中で、どのように扱われているのでしょう。
贈与が人を縛ってしまうのは、どうしてでしょうか?
テルマエ・ロマエも出てきて、贈与をめぐる哲学の旅を筆者と一緒に楽しめました!
◆内容紹介・感想
「贈与」といえば、真っ先に思い浮かぶのが「プレゼント」です。
「プレゼント」といえば、もらって嬉しいものですが、あげる時に選ぶのが難しかったり、お返しに悩んだり、いろいろ面倒なこともありますよね。
「お返しが面倒」といえば、「ホワイトデーの倍返し」や、年賀状の「この人に出していなかった!」や、「既読スルー」・「メールの応酬」なんかもこれに当てはまるかもしれません。
「贈与」と熟語にしてしまえば堅いですが、こうやって考えていくとごく身近にある悩ましいもののひとつで、これをじっくり考えていくことはとても興味深い試みですね。
印象に残った部分を感想とともに紹介します!
※とはいえ、この本は哲学なので、前から順番に読んでいくことをおすすめします。
<資本主義と贈与論>
贈与が無くなった世界(交換が支配的な社会)には、信頼関係が存在しない。裏を返せば、信頼は贈与の中からしか生じない。
「コスパが悪い」という考え方は、資本主義の浸透に根ざしているようです。ありとあらゆるモノやコトに値段がついてしまい、それに見合わない行動は価値がないとみなされてしまいます。
困っている人を助けたり、献血したり、逆に人に頼ったり、助けを求めたり。子供を産み育てるなんてことはコスパから考えたら、やめるべきことになってしまいかねません。
信頼だけでなく人生の歓びや味わいというものは、贈与の中から生じ、贈与は交換経済の外側に生まれてくるもの、と言い換えることができそうです。
<テルマエ・ロマエと贈与論>
贈与は返礼として始まる。贈与は必ずプレヒストリーを持つ。
テルマエ・ロマエのルシウス(阿部寛ですね)は、はからずも現代にタイムスリップしたことで、文明の利器に触れ、「これをローマに持ち帰って、ローマ皇帝や市民に伝えねば!」という使命感に囚われます。
この「使命感」こそ贈与論だというんですね。
たまたま、受け取ってしまった⇒シェアせずには、寝つきが悪い。
この構図、確かによくある気がします。
綺麗な桜を見た時は、写真を撮ってシェアしたくなる。
臨時収入があった時、こっそり溜め込むと後ろめたいような気持ちも、そうかもしれません。この「うしろめたさ」も贈与論で説明ができそうですね。
<サンタクロースの贈与論>
贈与の本質は、「冗長性」(=不合理、無駄)にある。
時間差で気付く贈与こそ感動を呼ぶ、というのはあります。
筆者はサンタクロースを例にあげています。
子供の頃無邪気に期待していたサンタクロースの正体を知り、感謝へと変わる。
自分に置いて考えると、ひとり暮らしし始めたころを思い出します。
料理や洗濯をまともにやったことがなかったので、こんなことを親は毎日やっていたのかという素直な感動と感謝がありました。
贈与にタイムラグを作ることで、即時交換ではなく、「恩送り」という考え方になっていきます。
<何も起こらないことの贈与論>
日常が異様なものに姿を変えていく小松左京さんのSFは、「常識に対する小さな疑問」「論理の歯車を一つだけ飛ばしてしまう」だけで簡単に得られるという。
福岡伸一さんは、エントロピー増大(散り散りになろうとする力)に抗う生命活動を「動的平衡」という言葉で表現していますが、仮にエントロピー増大を「平常」とするならば、われわれが感じている「平凡」は、それとはかなりかけ離れていることがわかります。
そう考えてみると、「ありふれた平凡」を成り立たせているすべての要素に、とてつもない贈与を感じ、このありふれた平凡を続けようと必死になる自分が愛おしくさえ思えてきますね。
筆者は、専攻はウィトゲンシュタイン、気鋭の哲学者という肩書に身構えてしまいましたが、上記のように親しみやすい身近な具体例を交えて展開していく論理は、素人の私でも十分楽しめる内容となっていました。
感想は以上になります!
では、また!