ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第50回「性格」②

<性格が先か、行動が先か?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。

 

今日は昨日の続きで

「性格」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。 

・どんな「性格」があるか、「人格」や「人柄」との違い

・性格は先天的なものか

・良い性格、悪い性格とは

・「良い性格」と協調性

 

性格は誰が決める?

結局、性格って、行動なのか、行動の前提にある内面的なものなのか?

性格を決めるのって、誰なのか?

問いは尽きませんが、ひとまず休憩を経て再開です。

結局のところ、性格というのは何を指しているのかは置いといて、性格が表れてくるのが、言葉なり行動であることは了解できたようです。

優しさというのは、人を助ける行動であったり励ます言葉であったり、そういった行為を取る人のことを指しています。

だとすると、性格は「行動を判断するための背景となる価値基準」ということになるのでしょうか。

 

「性格は結果で判断される」という意見もありました。

例えば「後輩に対して面倒見がいい」というのは、後輩が育たなければ「あの人は甘やかしてしまう」という風に変化してしまう、ということです。

 

「内面なんてわからない」という意見もありました。

一見、優しく接しているように思えても、やっている本人は打算的にやっているだけかもしれません。

 

というふうに、いろんな意見・批判が出たところで、

性格というのは、「その人が取りがちな行動を形容したもの」

というふうな言いかえができるかと思います。

 

そして、その性格、例えば優しいとか残酷だとかいう形容は、それを決める基準があるはずです。例えば文化や時代の違いによって残酷だったり、当たり前だったり、変化するからです。

そこについては検討の時間がありませんでしたので、それは宿題ということに。

 

◆性格を把握してどうしたいのか?

こんな、面白い問いもありました。

確かに、「あの人はこうだ」と性格を決めてしまいたがるのは、なぜでしょうか。

 

「性格は、能力やスキルのような、その人を表すデータの1つ」というような意見がありました。

確かに、社会生活を営むうえで、他人と仕事をする際に、その人の性格を把握していくことで、効率が良くなったり、無用な摩擦を避けることができると思います。

 

「同じ人間として、他人のことを知りたいという欲求」という意見もありました。

やはり、知らないより、知っていたい。というのは、それも理解できるところですね。

「カテゴライズしたくなる一方で、『決めつけ』という弊害もあるよ」

という意見も、忘れてはいけませんね。

 

◆私って、こういう性格だから

「『私って、こういう性格だから』というのを言い訳にすることがある」

という意見がありました。

社交的ではないので、会合には出席したくない、とか、細かい作業が苦手なので、別の人にやってもらってほしい、とか、自分がやりたくない仕事の言い訳として性格を使う、ということです。

 

「『私って、引っ込み思案な性格だから』と言って、『いえいえ、そんなことはないですよ、立派なものです』というふうに否定してもらいたい、謙遜するふうに使う」という別意見もありました。

 

そしてさらに、「自己暗示をかけたり、自分を鼓舞する目的で、『自分は妥協を許さない』など、厳しい性格を公表してしまう」、という面白い意見が出てきました。

 

ここから、

「心が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる」

という有名な言葉を思い出した意見がありましたが、心の部分を性格と読むのか、人格の部分を性格と読むのか、という問いがさらに深まります。

ここからは、「人格」は後天的なニュアンスで使われるということは理解できますが。

 

◆終わりです。

昨日も書きましたが、今回の哲学カフェは、2時間を通して考えていくにつれ、わからないことが増えていく、という印象が強かったです。

性格という言葉の使われ方の範囲が思ったより広かったこと、があったのかもしれません。

考えが尽きないというのも、哲学カフェの楽しさですので、50回目にして、まだまだやれることがあるということを確認できたかな、とも思います。

引き続き、51回目以降も楽しくやっていきたいと思います!

 

以上で、今回の哲学カフェの感想を終わりにしたいと思います。

 

では、また!