<「残された人」の中にあるものは何?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容<amazonより>
世界各地で、死んだ人間が生き返る「復生者」のニュースが報じられていた。生き返った彼らを、家族は、職場は、受け入れるのか。土屋徹生は36歳。3年前に自殺したサラリーマン、復生者の一人だ。自分は、なぜ死んだのか?自らの死の理由を追い求める中で、彼は人が生きる意味、死んでいく意味、そして幸福の意味を知る・・・。講談社現代新書『私とは何か』と併せて現代日本の切実なテーマに向き合う注目作。
◆この本は
ボリューム:★★★★★(そこそこ長い)
読みやすさ:★★★★☆(時折、難しい表現も)
感動 :★★★★☆(静かな感動!)
考える :★★★★★(もう一度読み返して味わう小説)
3年前に妻子を置いて飛び降り自殺したはずの主人公、徹生がなぜか生き返った?
そんな突飛な設定から始まる物語です。
そこから、徹生の死の真相を解明していく謎解きがあり、妻子は思ったほど徹生の復活を喜んでいない?問題や、さらに、世界中に現れた、同様に復活した人たちと交流するとどうなるのか?っていうおもしろい設定も。
死んだ人が生き返ったら、周りの「生きている人」はどうなるのか?平野文学の大きなテーマである「分人主義」を深める実験的小説にもなっていて、読み返してじっくり味わうのいいと思います。
◆内容紹介・感想
(上)
3年前に妻子を置いて飛び降り自殺したはずの主人公、徹生がなぜか生き返ったところから、この小説は始まります。
家に帰ってみると、妻とまだまさ小さい子供が変わらずいたのですが、彼女たちは徹生の帰宅にあまり喜んでいません。当然、あれ?どうして?ってなります。
徹生はビルから「転落して」死んだ日のことはよく覚えていないですが、よくよく思い出してみても、自殺したはずはない、だいいち自分は幸せだったはずと。
本当は自分は殺されたのだと、自分には犯人の心当たりがあるぞ、と、謎解きをはじめるミステリーとしても展開していきます。
(下)
やがて、死から生還した人間は徹生だけではなく、世界中に何人もいることがニュースで報じられ、わかってきます。
そして、生還者がこの社会で再び生きていくために障害となっていることを共有し合う「復生者の会」というのが起こり、徹生も参加し、同じ境遇の人たちと対話をすることで、死んだこと、また生き返ったことで、家族との関係や社会との関係はどうなったのか?を考えていきます。
物語は多くの部分、どこか、どんよりしたムードが漂っていますが、ラストに向かっていくにつれて、徹生の死の真相と、この「復活」に関する謎がわかってきて、次第に感動がせり上がってきます!
(感想)
ネタバレをしない前提で書いているので、核心を書くことは今日はしませんが、この小説を通じて感じたことは、死ぬということは、本人の問題ではなく、残された家族や周囲の人の問題であるということです。
徹生を亡くした妻や子どもだけではなく、徹生自身も小さい頃に父親を亡くしていて、その時のことや母親とのエピソードが挿入されていたりと、「人が死ぬことを通して、生きている人がどう影響を受けていくか?」についての考えるヒントが多く込められています。
そして、さらに楽しめるのが、著者が提唱する「分人主義」という枠組みを通じて考えていくことで、「自分の中に『他人』というのはどのように存在するのか」を考えることが、できたと思います。
それは、この小説で、人が死ぬこと(もしくは別れること)があると、その人の印象が別れた時点で固定してしまう、という現象を考えることでうまく考えることができました。
もう少し、詳しく書いていきたいのですが、その際はネタバレを前提に書きたいので、日を改めて書いていきたいと思います。今日はこの辺で。
では、また!