<予定調和はうまく使うもの>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「予定調和」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
前回書いた内容としては、以下のようなものです。
・ほとんどの物語には、ある程度の「型」がある
・その「型」にどのぐらい嵌まっているか、程度の差がある
・予定調和の「破れ」を楽しむ
・吉本新喜劇には、その「破れ」は期待していない
◆予定調和の効果
では、吉本新喜劇などの予定調和と呼ばれるものにおいての、その予定調和がもたらす効果とはどういうものなのでしょうか。
「安心感」という意見がありましたが、ではその「安心感」はどこからくるのでしょうか?
「設定がわかっている」「展開がわかっている」「オチがわかっている」、さまざまな予定調和のパターンがありましたが、それによって、「意外性」を排除しているということになります。
自分は短編小説集を読むときに嫌いなことが、始まるたびに登場人物の名前や属性などの設定を覚えていくところ、最初のところです。
それを考えると、設定を理解するところというのは、ある程度ストレスになってしまうということで、予定調和にはそのストレスを排除するという効果があるかもしれません。
吉本新喜劇は、「ながら見」できる番組です。
土曜の昼1時、なにか家事をしながらでも、ストーリーを真剣に追っていなくても、笑えて、楽しめるようになっていると思います。
展開やオチがある程度わかっているからこそ、の効果がここにもあるような気がします。
◆ネタバレしているからこそ、細部を観ることができる
これは別な角度からの意見ですが、
「あえてネタバレを見たうえで、作品に臨むと、ネタバレしない状態で観るとわからない伏線がそのまま楽しめる、より深く作品を楽しめる」
というのがありました。
これは「ながら見」とは違ったニーズですね。
前回の「映像の倍速再生、10秒飛ばし」の中で出てきた話題にもつながりますが、「型」の部分を理解する手間が省くことで、作者が込めようとしている細かい部分を理解できる楽しみに、自分のエネルギーを注ぐことができる、とでも言いましょうか。
ここには、予定調和を「うまく利用する」という側面があるように思いました。
作り手も、観客も、作品に予定調和を使い、そこにエネルギー配分を変化させることができる。
ただ癒されたい、ながら見でもそこそこ楽しみたい⇒予定調和多め
しっかり楽しみたい、自分で読み解いていきたい⇒予定調和少なめ
ファン目線で細かな違いを楽しみたい⇒予定調和多め
と言った感じで、、。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間経過したら終わりです。
他にも、
・予定調和の会議
・スポーツと予定調和
・まったく同じ映画を何度も見ること
といった話題が出てきました。
映画やドラマの中での予定調和という、一見狭いように思えるテーマでしたが、実例がどんどん出てきて、具体と抽象のバランスが良い会になり、好テーマだったように思います。
以上で、今回の哲学カフェの振り返りを終わりたいと思います。
では、また!