ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「自己矛盾劇場」 細谷功

<気分がノッてきたので、歌います。どうでもいいですよ♪>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

  

今日は私のブログによく登場する細谷功さんです。

 

 

内容<amazonより>

知と社会構造の関係をシンプルに説いた『具体と抽象』『「無理」の構造』に続く第三弾。
「あの人は、人の〈批判〉ばかりしている」という〈批判〉、これが自己矛盾。
世の中に苛立ちと不毛な争いをもたらす大きな原因の一つがこの人間心理の負の側面であり、
インターネットやSNSの発展によって表舞台にあふれるように出てきている。
「知性の限界」ともいうべき「自己矛盾」が生まれる心理の歪みと社会構造との関係を
身近な事例を取り上げながら模式・可視化。
知の構造を見据えつつ、自分自身と対峙するための思考法を提示。
メタ認知への扉を開く格好のテキスト。

 

この本は、世の中にはびこる「自己矛盾」をテーマに、過去作で学んだ「具体と抽象」「非対称性」について学びなおすこともできるお得な本です。

 

過去2作同様、具体例が多く、漫画イラストによる解説があり、難しい内容であるにもかかわらず難なく理解できてしまう非常にすばらしい本となっております!

 

◆自己矛盾は「あるあるの世界」

・「これ誰にも言っちゃいけない話だけど、、」(言っとるやんけ!)

というふうに、自分で矛盾することを言っていることを「自己矛盾」と言います。

例をいろいろ挙げてみますね。

 

・「お前の意見を押し付けるな!」(という意見の押し付け)

・「あいつ他人の悪口ばかりで性格悪いな。」(という他人の悪口)

・「行動がすべてだ!」(という行動をともなわない言葉)

・「私は世界一謙虚な人間です」(という高慢な発言)

 

これ、だいたひかるさんの「どうでもいいですよ」じゃないですか?

・「人と同じことはしたくねえんだよ」と言う、人と同じセリフ

・「えーモテそうなのにねえ」と言う。モテない人への追い打ち 

 

このように自己矛盾は、賢者ぶって批判している自分が、さらに他人から見ると恥かしいことになっている、というマトリョーシカ構造になっているんです。

 

かくいう私もここに出てくる表現を自分でもやっていて、まさに「あるある」にいくつも気づき、恥ずかしくなってきます。

 

◆自分が気付かずに言ってしまっている

この「自己矛盾」の大きな特徴は、「言っている自分が気づいていない」ことにあります。 

 

どうしてでしょうか。

筆者はこれを「自分と他人の非対称性」と解説します。

 

「非対称性」とは、「対称のように見えて対称になっていないこと」のことで、例えば右と左は対称ですが、過去と未来は対称ではありません。一方通行だからです。

同様に、AさんとBさんは自分から見たら対称かもしれませんが、自分とAさんはまったくもって非対称です。

 

こちらの過去記事に簡単に書いていますので興味のある方はこの記事とこの本も読んでみてください♪ 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

自己矛盾の代表はよくいう「自分のことは棚に上げて」というやつです。

「自分が一番かわいい」とかもいいますね。

 

「自分のことは、かくも見えていないのに、他人のことは、実によく見える」と筆者が言うように、自己矛盾の原動力がここにあります。

 

◆「言うこと」と「やること」の非対称性

そして、もう一つ、「いくら強調してもしすぎることはない」というのは、「言うこと」と「やること」の非対称性です。

 

「口で言うのは本当に簡単である」ということです。

 

他部署の不手際には猛烈に批判し、自分のミスには「よくあること」で済ませようとする、ふだんの私みたいな態度です(笑)。

 

自分で料理しないのに、出された夕食に、こうすればもっとおいしいいいだの野菜が足りないだのいう、テレビで見た知識を中途半端にいうやつです。

 

「だったらお前がやってみろ」というやつです。

 

誰もが「自分が特殊」だと思う気持ちが自己矛盾を引き起こしているんですね。

 

◆メタレベルの視点をもつ

では、「自己矛盾」は、どうしたら気付くことができるのでしょうか?

そのポイントとして、筆者は「メタ視点」に立つことが唯一の方法であるといいます。

 

「メタ視点」とは、心理学でもよく言われますが、「俯瞰してみる」視点のことで、ちょっと幽体離脱して、話している自分と誰かを上から見ているようなイメージです。

 

「あ、今自己矛盾している」と、幽体離脱している自分が見つけるように。

 

いや、ちょっと待てよ?自己矛盾は「気づかないから自己矛盾」なんじゃないの?

確かにそうです。

「私は怪しいものではありません」とか、「拡散希望」とか、それは他人が決めることなのに、自分で言ってしまっているというのは、気づいていないからこそできるのでは?

 

だったら、どうやってメタ視点に立つことができるのでしょうか?

 

・・・

ちょっと長くなってきましたので、続きは日を改めて書かせていただきます!

 

では、また!