<うまくいかないって、どういうこと?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は、以前紹介したこの本の感想の続きを書きたいと思います。
前回の記事はこちら。
この本の中でさかんに触れられていた、「偶然」というものについて、今日は考えていきたいと思います。
宮野さんは、偶然乳がんになってしまい、余命宣告を受けてしまいました。まだそれなりに生きてはいますが、一定の確率で「急に具合に悪くなる」ことが起こります。
このような生き死にに関わる重大な偶然もありますが、日常的に私たちはあらゆる偶然に囲まれて生きていると思います。
突然のシステムトラブルで仕事が前に進まなかったり、つまづいて転んでケガをしたり、手が滑って皿を落としたり、、。
そんなとき私たちは、「うまくいかない」という言葉を使います。
では、うまくいく、とはどういうことでしょうか。
いつもどおりにものごとが運ぶ、自分の思っている通りになる、という感じですよね。
これは、未来が予測どおりになる、というふうに言い換えられます。
逆に、未来が予測した通りにならなかったら「うまくいかなかった」になるわけです。
予測と違うことが起きると、仕事ならそれを挽回するために時間やお金を余分に使ってしまいますし、生活においても体が傷ついたりストレスを受けたりします。
もっと昔の人だったら、予測通りに運ばないと、獲物や作物が取れない、住居を失うなど、飢えや死に直結したでしょう。
だから私たちは未来を「管理」しようと躍起になります。あらゆるリスクという名の「偶然」を避けるために。
文中に宮野さんが野球好き(カープファン!)だという話が出てきます。
野球というのはまさに偶然を楽しむスポーツです。
ほんの0.3ミリズレただけで、ホームランが凡フライになり、取れるはずのイージーゴロが小石にはずんで外野に抜けて行ったりします。
観客たちはその次々に起こる偶然を楽しみ、選手たちはその偶然を必然に少しでも近づけようと日々鍛錬します。
バウンドして捕れなかったゴロは「イレギュラーバウンド」と言いますね。まさに「予測できなかった、普通でなかった」状態なんですね。
まぁ、イレギュラーバウンドしたからって、小石に対して怒り心頭する選手はいませんが、そうでないエラーに対しては仲間でもイラッとするでしょう。
エラーする確率なんて、100回に1回ぐらいかもしれません。
「確率」という言葉を使いましたが、その100回に1回が起こることに対してストレスを感じているのです。
それは、それが起こらない前提でゲームを進め自分が動いているからです。
でも100回に1回のことだって、やっぱり時には起こります。
子どもにお手伝いとして食器を下げてもらうとします。
時にはお盆が滑ってお皿を割ってしまうこともあります。
多くの親は、ケガしなかったか、次から気を付けなさい、となりますが、これが忙しい、朝のドタバタのなかで起こったらどうでしょう。ついイラッとしてきつく言ってしまうかもしれません。(実際自分もありました)
朝とそうでない時の差は、挽回する時間があるかどうか、という違い、いわば「余裕を持っているか」の違いなんですが、現在の私達において、この「余裕」がない場合が多くなっているために、偶然を受け入れられずイライラしてしまう、こんな構図になっているような気がします。
偶然は発明の母とか、偶然の出会いが自分を変えたとかいうエピソードに事欠かないように、偶然を受け入れることは、人生にとって良いこともたくさんあるはず。
心の平安を得るために、未来を管理しようとすればするほど、偶然に出会いにくくなり、偶然をストレスと感じる。
日々起こる偶然をどのようにな姿勢で受け止めるか、そしていずれ、最大の偶然「急に具合が悪くなる」が訪れたとしても、穏やかに受け止めたいものです。
では、また!