<ルールと目標、勝利や達成感>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今回は第31回となります。
前回の第30回「プレゼント」の模様はこちら。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについて、みんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話しをしているわけではなく、「『普通』って何?」だとか、「『苦労』は買ってでもしたほうがいいの?」だとか、誰でも身近にありながら、答えがなかったり人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えない話題についてじっくり語り合うという活動です。
◆今回も「Zoom」を使いました
今回も前回同様、「Zoom」を使用。
「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマは「ゲーム」
この日の参加者は7名。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)
今回の進行役も、いつも通りひじき部長に務めていただきました。
私は、ZOOMのチャット画面にメモを残していく書記係を担当しました。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「ゲーム」
です。
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆ゲームって、そもそも何なの?
「ゲーム」って、いったい何でしょう?
「ゲーム」というのを成立させる要素とは?
まずは、いつものように、こんな問いから始まります。
そして、進行役がこれまたいつものように、メンバー各人に、
「あなたはどういうゲームをしていて、それは何のためにしていますか?」
と、エピソードを引き出すところから始めます。
さまざまな「私とゲーム」が出てきます。
・ロールプレイングゲーム:ストーリーや映像を、映画のように楽しむ。
・ソーシャルゲーム:対戦したり、課題を解決したりするのが楽しい。
・モンスターハンター:少しずつ新しい要素が入って、またそれに挑んでいくのが楽しい。難しいけど練習して倒した時の達成感が気持ちいい。
・ポーカー:人と勝負するのが楽しい。自分の技術が高まっていくのが楽しい。
・ポケモンgo:楽しみながら体を動かせるので良い。ポケモンコレクションが増えていくのが楽しい。
・マネーゲーム(投資):丁半博打的な勝負がスリル満点、リアルなお金の増減が欲望を刺激する。
いろんなエピソードが出てきたところで、いくつかの法則性を見つけてみます。
・ゲームは楽しいものである、娯楽である
・勝ち負けや、記録への挑戦するものである
・誰か他人と一緒にやったり、一人でもできる。
・何らかのルール(レギュレーション)の中でやること
・目標が設定されている
・何らかの報酬が得られる
ところで、ただ単に「ゲーム」というと、いったい何をイメージするでしょうか。
日本では「テレビゲーム(ないし、スマホゲーム)」のことを指すことが多いように思います。
(あるメンバーが、これは『任天堂の功績だ』といいました。)
ゲームというと、スポーツの試合のことを指してもいいはずだし、実際にそういった「試合」のようなものから派生して、ビジネスや投資、はたまた恋愛に至るまで「ゲーム」と呼んでいる人もいるようですね。
確かに、先述の法則性から「勝負」や「目標達成」「課題解決」の要素があれば、ゲームと呼んでいいかもしれないですね。
◆どうしてゲームは敵視されるの?
ゲームといえば、お母さんが子どもに言うセリフ「ゲームばっかりしてないで、宿題しなさい!」に代表されるように、どこか敵視される存在ではあります。
しかし、「ゲームばっかりしている」子供が、のちにゲームのクリエイターやコンピュータのプログラマーになったり、現在では「プロゲーマー」なんて職業があったりしますからね。
しかし、子どもが「大きくなったら、プロゲーマーになる!」と言って、日々ゲームに明け暮れていたら、眉をひそめる親は多いと思います。
「大きくなったら、プロサッカー選手になる!」と言って、日々サッカーに明け暮れていたら、応援する親は多いはずなのに、この差はなんでしょう?
という問いがメンバーから出ています。
なるほど、確かに。
敢えて漠然とした言葉を使うと、世間的な「イメージ」というものでしょうか。
ここから、思わぬ方向に哲学カフェは進んでいきました。
哲学カフェはまだまだ続きますが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!