<どうして年を取ると勉強したくなるの?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。
社会情勢を踏まえ、2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
前回は「青空哲学カフェ」として野外・オフラインでの特別開催でしたが、
今回は、通常のオンラインに戻り、第51回開催になります。
前回の第50回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は久々に2桁の10名。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)
今回は、いつも通りひじき氏が進行役になり、私はというと、いつものように書記役で進めていきました。
この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた
「勉強と学習」
です。
子供の頃嫌いだった勉強が、年を取ってから喜んでするのはどうしてでしょう。勉強は自分に何をもたらすのでしょうか?
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆子供にとっての勉強、大人になってからの勉強
・どうして子供は勉強が嫌いなのか?
・年を取るとどうして勉強したくなるのか?
そんな問いから哲学カフェはスタートしました。
年を取ってくると、カルチャースクールに通ったり、大学に入り直したりと、勉強したくなる人は多いようです。
読書も勉強かなと思いますので、かくいう私は、読書欲が年々強まっていき、本から出会った知識によって、さらに新しい「勉強したい」がでてきて、このように哲学カフェをやってみたり、はたまた歴史に興味を持ったり、コンピュータを学んでみたり、といったふうです。
自分がこの年になって、楽しく勉強できるようになったのはいくつか理由があって、知らなかったことを知るということは単純に楽しいということと、そしてそれを話す人がいること(たとえ周りにいなくても、SNS上で交流ができますし)が大きいと思います。
では、子供の頃は勉強が好きだったかというと、決して好きと思ったことはなくて、周りの子どもと同じように、テレビを見たり、友達と遊んだりということのほうがもちろん好きでした。
テストでいい点を取って親に褒められたり自慢できたりというのはやはりありましたが、それは勉強をする楽しさとは違います、よね。
◆勉強は好きなのか?
・あなたは勉強は好きですか?
ここでシンプルな質問が出てきます。
勉強は好きか?と聞かれると、今の私は「好き」ということになるのですが、よく考えると、勉強している時間、例えば資格試験のテキストを開いていたり、講座を聞いていたりする最中は、ただ「好き」といえるほどのものでもないような気もしたり。
やはり勉強というものには苦痛が伴うものではないかとも思います。
メンバーの意見に、「勉強によって自分を変えようとする⇒現状維持を破ろうとする行為には抵抗がある」
というのがありましたが、人間の習性としてこれはある程度真実ではないでしょうか。
勉強そのものは苦痛も伴うけれど、得られた知識やそれがもたらすいいことに喜びを見出しているというふうに思います。
◆興味のあるなし
・いくら知識を重ねることが喜びでも、それはあくまで興味のあるなしによる
という意見がありました。
確かに興味のないジャンルは勉強していても楽しいと思わないし、むしろ苦痛だろうと思います。
ということは、子供の勉強嫌いは、興味がそこに向いていないから、ということもいえるかもしれません。
大人の勉強の動機として「これをやることによって、これができるようになる」といった目的とか目標とかがあるいっぽうで、子供の勉強はその意識がありません。
◆そもそも「勉強」ってなんだ?
自分の現在の勉強観、また子供時代の勉強について、序盤はいろいろ意見が出てきましたが、ここで進行役より、
「各自が持っている『勉強』という言葉の意味が少しずつ違っているような気もするので、一度『勉強』とは何かについて、改めて問うてみたいです。」という発言があり、一度言葉の意味を問い直してみることになりました。(哲学カフェではよくあることです)
しかし、ここから哲学カフェは、これまでとは違う展開を見せていきます。
長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!