ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「ほんのちょっと当事者」 青山ゆみ子②

<善の気持ちと邪悪な気持ちの両方を認めること>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

もう少し、続きを書いていきたいと思います。

 

・わたしは「変わる」ことができるのか

2017年、神奈川県内の知的障害者施設で起きた痛ましい事件の話に始まり、筆者が小学生の頃、障害を持つクラスメイトに抱いた邪悪ともいえる感情のエピソードを語り、そこから大阪市内の「誰も排除しない」教育を実践している小学校の話に展開します。

なかなかに重い話題であり、自分の意見を書いていくのにも勇気がいるような内容ですが、そこを敢えて逃げずに、「その時の自分はどうだったのか、35年を経ての自分はどう変われたのだろうか?」と真剣に向き合い、強い言葉で書かれています。

障害者(あるいは、心に病気がある人)を前にして、「面倒だな」と思った経験は自分も無いとは言い切れません。特に子供の頃であればなおさらです。

「誰も排除しない」小学校において大切にされていること、「自分がされて嫌なことは人にもしない」という理念に触れて筆者が考えた、「自分がされて最も嫌なことは『自分の存在を認めてもらえないこと、排除されること』だ。」という言葉が印象的でした。

 

ここにきて、「ほんのちょっと当事者」という本書のタイトルを改めて思い返します。

「ほんのちょっと当事者」だと思った自分は、被害者になっていて、加害者にもなっている。

でも、まずはその事実を受け止めることが第一歩で、それは、自然と沸き起こる倫理的(善)の気持ちと、同時に異質なものを排除したい邪悪な気持ちの両方を肯定することだと思いました。

そのうえで、自分が出来る行動、ほんの小さな一歩だけでもいい、いまできることをやってみることかなぁと思います。

そう思うきっかけになったのは、今後やってくる「老い」や、家族の介護、育児の悩み事、持病のこと、「ほんのちょっと当事者」は、自分の周りにいくらでもあるはずだと思えたことですね。

 

良い本と出会えて、感謝です!

 

では、また!