<目の前の不利益の回避>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)
今回は、第75回開催になります。
前回の第74回開催の記事はこちらになります。
◆「哲学カフェ」とは?
哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。
「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。
私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。
そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。
当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。
◆「Zoom」を使っています
今回も、「Zoom」を使用。
「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。
主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。
◆この日のテーマ
この日の参加者は7名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。
オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。
しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。
今回は、少し事情があっていつもと役割を交替して、私ちくわが進行役、ひじき氏は書記役です。
この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた
「逃げる」
です。
「追われて逃げる」という動作の意味だけでなく、「あなたは逃げてばかり」というネガティブな表現、はたまた「勝ち逃げ」などの戦術にも多用されます。
それぞれにとっての「逃げる」のイメージを交換し合うことはできたでしょうか。
では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。
◆「逃げる」の具体例から、抽象化
恒例になりつつありますが、最初に具体例を出していきます。
・お化けやライオンから逃げる
・目の前のやるべきことから逃げる
・仕事から逃げる
・先の人生を考えることから逃げる
・試験勉強から逃げる
・当て逃げ
・勝ち逃げ
・逃げ切りの世代(社会保障とか)
・振り逃げ(野球のルール)
逃げるには、まず、「物理的な距離をとる」意味と、「やるべきことをしない」意味があるように気付きます。
そして、どこか後ろめたいニュアンスが入っているのも、「逃げる」の特徴です。
いっぽうで、「逃げ馬」「勝ち逃げ」など、先述のひとつとしての「逃げ」という使い方があります。
これらから、「逃げ」を少し抽象化していく作業をしていたように思います。
◆「逃げる」に対する後ろめたさ
「勝ち逃げ」は、勝つために積極的に逃げる戦術なのですが、
純粋にポジティブな意味で使っているのか?どこか、「後ろめたさ」「ずるい」ようなイメージがないか?という意見がありました。
「逃げる」には、勝ち逃げという言葉があっても、それは元々ネガティブな意味を、ポジティブな結果と転じさせているだけでは、ということです。
そこで、「勝ち逃げ」=「次の勝負をしない」と言い換えると、「逃げる」=「立ち向かうことをしない」と抽象化されます。
この「立ち向かうことをしない」という言葉は、また後半で検討されることになります。
◆「逃げる」と「不利益」
「立ち向かうべきことから逃げる」という言葉を検討していくと、
「自分に不利益をもたらすものから逃げる」という言葉が出てきました。
確かにそう捉えると、ライオンから逃げることと、試験勉強から逃げることはつながるように思います。
しかし「試験勉強=不利益なのか?」という疑問が起こります。
「それは単に、苦痛だから、面倒だと思うから」不利益なのだという意見から、
受験勉強をする(苦痛)=短期的不利益、受験勉強をしない(不合格)=長期的不利益と考えると、
ここの逃げるは「短期的不利益を回避する」行為ということになります。
「大事な話し合いから逃げてばかり」という具体例も出てきましたが、どうやら「逃げる」は「遠くのこと」より「目の前のこと」に対して使うことのようです。
◆動かない、「逃げる」は正義ではないのか
「自分ではそんなつもりなくても、他人から『逃げた』と思われることってある」
という意見がありました。
そこから、動いて逃げることと、動かずに逃げること、があるということがわかります。
「動かない」ことを「立ち向かわない」とするなら、
「立ち向かうこと」=「正しい」とされがちなのはどうしてなのか?
という問いに変化していきました。
哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。
では、また!