<「逃げる」は悪なのか>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「逃げる」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆動かない、「逃げる」は正義ではないのか
「動かない」ことを「立ち向かわない」とするなら、
「立ち向かうこと」=「正しい」とされがちなのはどうしてなのか?
という問いに変化していきました。
動物的な観点からすると、生存することが優先なので、逃げようが、戦おうが、手段は問わないはずです。
しかし、立ち向かう人に対しては勇気があって、逃げる人は臆病であるとされるのはどうしてでしょう。
しかし、今までの構図、立ち向かう人=行動を起こす人、逃げる人=動かない人、とすると、行動を起こす人は少数の人であって偉大な人であるということは理解できるという意見がありました。
群れをつくる動物では逃げる=敗北となり、群れに残った者は強いとみなされ尊敬され、逃走したものは群れを追いだされ孤独になるということはあります。
ここから、先の世界大戦の「退却禁止」の話題になり、「逃げる」を「転進」と言い換えたりすることはよくある、という話にもなりました。
◆ブラック企業から逃げる
ブラック企業から「逃げる」という例が出てきました。
短期的デメリット(給与がストップする)はあれど、長期的には自分の健康を守ることなので、むしろ「逃げ」を推奨されている例です。
自分では積極的に回避していることでも、他人から「逃げた」と思われることもあるという例でもあります。
ここでも先述の戦争の話題同様、なぜ、逃げるにはそこまでネガティブイメージがあるのか?という話題は最後まで続いたように思います。
◆終わりです。
哲学カフェは時間が来たら、話がまとまっていなくても終わりです。
今回の「逃げる」に関しては、実働人数が少なかったこともあり、次々に問いが生まれていったり、広がったりせずに、じっくり考えていく時間が長かったように思います。
以上で、今回の哲学カフェ「逃げる」の振り返りを終えたいと思います。ありがとうございました。
では、また!