ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

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主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「戦争は女の顔をしていない」 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ②

<そこに存在していた個人の話としての戦争とは>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本の感想続きを書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆感想続き

「同志少女よ、敵を撃て」の中にも記述ありましたが、彼女たちを待っていたもう一つの戦い、それは戦後にありました。

 

「男たちは戦争に勝ち、英雄になり、理想の花婿になった。でも女たちに向けられる眼は全く違っていた。」

「あれだけ戦地では身を挺してかばってくれた男たちが、国に帰れば、私たちを置き去りにした。」

「『戦地に行って男の中で何をしてきたのやら』と他の女性から侮辱された」

 

命を懸けて祖国を守ってきたのに、帰ってくると、健康を害して生き辛いだけでなく、いわれのない差別を受け、身の置き所がなくなってしまいます。

わたしたちの「戦い」とは何だったのか、ということです。

 

パルチザンについての記述も、衝撃的でした。

パルチザンたちは、ドイツ側に見つかれば、激しい拷問が待っています。何度も気を失うほどの拷問を受けながらも、祖国や仲間を守り続ける。

 

ここまで激しい拷問に耐えながら守らなければならない「祖国」であり「イデオロギー」とは何だったのでしょうか。

スターリンを指導者とする共産主義でしょうか。

それとも、その時そこにたまたま共産主義があっただけで、守るべきものは別なものでも良かったのでしょうか。

 

実際、スターリン没後の体制は、スターリン政策を否定することでソ連が変わっていくことを世界にアピールしていきます。

それは、「私たちが命を懸けて守ってきたもの」をあっさり否定するということでもありました。

 

この本が大きな意味を持った最大のポイントが、「戦後彼女たちを苦しめた国内の現実」でしたが、もうひとつ、「女性に対する戦場での暴力」を明らかにしたことがあります。

 

ソ連兵が反転攻勢後制圧していった地で、現地の一般女性に対する暴行を繰り返していた事実です。

戦争において、占領地ではしばしば略奪や暴行が行われ、それは規律でも違反行為とされていますが、ある程度黙認されていたのです。

それはドイツ軍がソ連に侵攻の際、同じことをしてきたからだ、という理論がありますが、だからといって決して暴行を正当化するものではありません。

 

この本を通して、特に上記の二つの点が印象的でしたが、かの戦争で、国民一人一人が勝利のために、現実として代償として払ってきたものは何だったのか、ということを知ることが出来ます。

 

「ここまで攻めた」という図面上の話ではなく、「これぐらいの犠牲が出た」という数字上の話でもなく、そこに存在していた個人個人としての血と涙のエピソードを丁寧にたどっていくと、戦争というものが全く違った顔を見せることになります。

 

以上で、「戦争は女の顔をしていない」の感想を終えたいと思います。

ありがとうございました。

では、また!