ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第85回「子供」①

<大人のほうが子供の「枠」を決めている?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第85回開催になります。

 

前回の第84回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

 

◆この日のテーマ

この日の参加者は7名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「子供」

です。

 

「子供」と「大人」の境目ってどこでしょう。

「子供っぽい」ってどういうこと?

「子供扱い」はどうしてするの?

子供にまつわる言葉、子供に対する態度、などなど、子供に対する疑問や普段思っていることを話していきます。

では、哲学カフェ、スタートします。

 

◆「子供扱い」とは?

まずは、「子供扱い」についての話題から始まりました。

親が子どものやることを先回りしてやってあげる。

親は子供の言うことを話半分にしか聞いていない。

格闘技での「子供扱い」は、相手に何もさせずに圧勝してしまう比喩として使われます。

 

相手(子供)の「できない部分」を指摘したり、カバーしたりする。そんな行為が「子供扱い」だとすると、

対する大人は、「できている」、「常に正しい」という前提になってきます。

 

大人の基準に子供を当てはめて「できていない」とするのは、なかなか乱暴なものだなという意見もありました。

 

◆子供のやることではない

そこから、「子供のやることではないもの」というふうにトピックが展開していきました。

 

「ヤングケアラー」の例が出てきましたが、本来学校に行ったり、友だちと遊んだり、旅をしたりという「その年代なら本来していること、すべきこと」ができていないこと、そこに対してかわいそうだという感情になってしまうようです。

 

一方で、同じ家のことでも、掃除や料理を子供がやると偉いと称賛されることもあります。

また、ゴルフや将棋のプロになったりする子供は、賞賛と羨望の的になっています。

 

この違いは何なのだろう?という問いが起こります。

まず出てきた意見が、子供の教育を受ける権利と、労働の禁止という考え方です。

子供は労働をせずに学業にいそしむこと、という価値観から「学業をおろそかにする」のほうが、眉をひそめる対象となっているのかもしれません。

 

抽象的に「子供扱い」を言い換えてくれた意見がありましたが、「大人が(社会が)定めた枠内のこと以外はしなくてもいい傲慢さ」というものです。

 

「老人扱いするな」という反発もありますが、この場合にも通じるものであるという意見もありました。

 

 

◆子供と大人のボーダーラインは?

動物的に見ると、巣立ちであり、ひとりで食べ物を探しに行くのが多くの「大人」になる儀式であるようですが、人間にとっては、そういったものはどこにあるのでしょうか。

 

イメージとして意見がいくつか挙がってきます。

・20歳になったとき

・選挙に行くようになる

・社会人になってお金を稼ぐ(就職)

・結婚する、子供を持つ、家を持つ

 

意外と、「どこからが大人」と問われると、パッと答えられない難しさがあることに気づきます。

「実は人間にとっての『大人になる』はかなりあいまいなものだ」という意見がありましたが、ほんとそうみたいです。

 

◆「子供っぽい」とは?

しばらく話をしていると、子供と大人のボーダーラインについては、上記に出てきたような「社会的なもの」があって、それとは別に「精神的なもの」もある、という話になっていきました。

 

よく「子供っぽい」といわれる行動ですね。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!