<社会的に子供か、精神的に子供か。>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「子供」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆「子供っぽい」とは?
しばらく話をしていると、子供と大人のボーダーラインについては、上記に出てきたような「社会的なもの」があって、それとは別に「精神的なもの」もある、という話になっていきました。
よく「子供っぽい」といわれる行動ですね。
・感情をすぐ体で表す
・聞き分けがない
・行儀が悪い
・周囲が見えていない
このようなものは「精神的なもの」と言えますが、行動に現れてくるものですね。
笑い方、怒り方、食べ方、、。
理性をともなわない、ガマンが出来ない、逆にそれが出来ているのが大人ということになります。
◆社会的に大人が優先される
「精神的に大人、社会的に大人では、社会的に大人のほうが優先される」という意見がありました。
ある程度、「社会的に大人」である人、たとえば、多くお金を稼いでいる人、グループを率いている人などは、多少子供っぽい行動があっても、容認されやすい、ということになります。
これが逆、いくら抑制がきいていても、生活を他人に頼っている人は低く見られてしまうということですかね。
大人を子供と言い換えて、さらに「未熟」と言い換えてみると考えがすんなりいくかもしれないです。
ここは少し盛り上がったのですが、ハラスメントをする夫の場合はそうでないものがある、とか、もあるので。
◆大人がやると恥ずかしいこと
「どうして、ブランコや砂場を大人がやると恥ずかしいのか?」という問いがありました。
まぁ、子供の遊び場とされている場所で子供を差し置いて大人が遊んでいると迷惑ですが、それでも、例えばおじさんばかりで砂遊びしているとやはり恥ずかしいに違いないです。
これに対しては、「子供には子供、大人には大人に応じた『やること』の枠組みがあって、そこから逸脱すると違和感が生じる」という解釈がありました。
この枠組みを「世界観」とも言い換えていましたが、当初から出てきていた「子供がしてはいけないこと」や、「老人扱いに通じる」ということがこの世界観で説明できうると思いました。
◆終わりです。
哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは個々のお土産にもなります。
「子供には子供の世界観」という話が出てきて、ではその世界観は何故出てくるのか、と言う問いが新たに生まれてきますが、まだまだ時間が足りなかったようです。
そのほかにも、
・ファンタジーにハマれるのは子供なのか?
・大人になると虫が触れなくなるのはなぜか?
・接客口調がタメ語になるのはどの辺までの子供か?
というような面白いトピックもありました。
子供というワードにしたがって、色んな話題が出てきて、また、「大人」に転じたりして、それが上手く繋がったり繋がらなかったり、哲学カフェとしてもなかなか面白い展開になったと思います。
以上で、今回のオンライン哲学カフェ「子供」のレポートを終わりたいと思います。ありがとうございました。
では、また!