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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

生物と無生物のあいだ 福岡伸一

 

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

 

動的平衡」。

 

福岡センセイといえば動的平衡です。

簡単に言うと、何かがあって、そこに「入ってくるものの量」と、そこから「出ていくものの量」が同じで、しばらく経てば中身はそっくり入れ替わっているとしても、見かけ上は変わっていないように見え続けている、という現象です。

 

例えば海岸の砂山。放っておくと、海風に削られてやがては無くなってしまいます。しかし、山側から砂が降ってくるのであれば、山は無くなることはない。ということです。しかし山の場所は移動するし、山を形成している砂も以前のものとは違うものになります。

 

自然界には、秩序だっている物は、放っておくと、拡散するという法則(エントロピー増大の法則)があります。空き家を手入れせずに放っておくと、荒れてしまって、やがては崩壊するようなものです。

 

福岡センセイは、生命活動とは「動的平衡にある状態」と定義しました。

 

つまり人間も、自然現象に必死に抗いながら、命ある時間を過ごしています。

そして、その途中で、様々な取り返しがつかないエラーが起こり、やがて拡散法則に抗いきれなくなって、最終的には死ぬという事です。

自分の存在というものは、非常に危うい均衡のもとに保たれていると思うと、命を大切にしなきゃと、改めて思います。

 

人間も分子レベルで見れば、半年もするとほとんどの分子が入れ替わってしまっているそうです。半年ぶりに友人に、「あれ、なんか変わったな、別人のようだ」ということがありますが、その言葉通り、中身はすっかり入れ替わってしまっているのです。そう考えると面白いですよね。

 

「生命とは何か」というと、すごく哲学的な話になってしまいます。

ヘラクレイトスは紀元前500年ごろ、「万物は流転する」と言いました。あらゆるものは変化する途中だ、ということです。それを受け、デモクリトスは、「全てのものは原子の組み合わせで出来ているのではないか」と予言しました。

 

2000年以上経て、化学も発達し、それが正しい事がわかりました。逆に言うと、観察機器も何もない古代に、哲学だけで「存在の問題」を解決してしまった彼らは本当に何者なんだ、と思いますよね。