<哲学カフェ×政治という初体験>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日書くのは、「神戸哲学カフェ」さん。
「神戸哲学カフェ」さんは、「カフェフィロ」さんとの共催となっています。
5月の開催に参加させていただきました。
予約不要、参加費500円+コーヒー代。
会場は「Cafe P/S」さん。
とっても素敵なカフェを貸し切っておられました。
◆哲学カフェとは?
・誰もが『対等な立場』で、テーマについて自由に話し合う場
・テーマは身近なこと。(例「お金」「愛」「行動」)
・哲学の知識は不要(全くもって不要です)
・あるのは進行役と少しのルールだけ
◆今回のお題
お題は
「どうすれば『政府』を信用できるのか」
でした。
私はこちらには初めて寄せていただきましたが、開放的でとても雰囲気のいいカフェでしたね。
参加者14名ぐらい。女性の方は4名ほどいらっしゃったでしょうか。
◆哲学カフェのお題が「政府」だったらどうなるのか?
私の(短い)哲学カフェ経験の中でも、政治を扱ったテーマは初めてです。
政治というのは個々の信条が対立することもあり、しばしば議論になることがあるように思います。
私はあまり政治に詳しくありません、そういった議論はできません。
しかし、「哲学カフェ×政治」が敢えてどう展開するのかが知りたくて、参加させていただきました。
◆政治家はは「うそ」をつく
「何故政府は信用できないのか?」というテーマに関して、まず「テーマに違和感を抱く」という発言がありました。
それが哲学カフェのいいところだと思います。
「政府は信用できないのか?」ということは、前提が「私たちは政府を信用してない」ということになるからです。
皆がみんな政府を「信用していない」わけではないからです。
まあ、そういった議論もありながら(割愛しますが)、いよいよ「何故信用できないのか?」という検討に移ります。
・政治家はうそをつくから
・不都合なことは隠蔽する
・弱者を切り捨てるような政策
・税金の使いみちがおかしい
おおまかには、「人」に関すること、「政策」に関することにそれぞれ不満があって、「信用できない」につながるのかな、と思いました。
「政治家はうそをつく」
私もそうしたイメージを持っているですが、そう思っている方は一定数いるのではないでしょうか。
・当選したら〇〇します!
・〇年以内に絶対〇〇になります!
という類の約束は、守られないことが多いです。
また、自分が起こしたであろう不都合において、
・記憶にありません。
・私は絶対やってません。
というおそらく嘘であろうことを言いきります。
では、何故政治家はうそをつくのでしょうか。
そこが広がったらいいな、と思っていたのですが、広げるチャンスを逸してしまいました。
◆政府は信用できないのが「当たり前」
この展開は、事前に予想していなかったので、新鮮でした。
しかも、同様の意見を持たれている方も数名いらっしゃったかと思います。
皆がみんな、信用していたら、それは逆に狂信的な独裁国家のようでキモチワルイ。
確かにそうですね。
一定数の国民は監視している状態が自然である、という感じでしょうか。
そこで出てきたのが、「信用はしてないけど、政権は支持している」という意見。
「信用」と「支持」は違う、という意見、私はどこか納得感がありましたね。
「信用」はその人すべてに任せきってしまうような状態、「支持」は仕事ぶりに肯定はするけど、全面的に任せるところまではいってない、ようなニュアンスでしょうか。
政治というものは多くのしがらみがあって、一筋縄にはいかないものと思います。
「もっとちゃんとやれよ!」と我々はやはり思うのですが、私も政治家の世界はほとんど知らないので、「だったらお前がここへ来てやってみろ!」と言い返されるかもしれないですよね。
◆そして、混沌の後半戦へ。
政治(政策?)論議は前半にも幾つかあったのですが、後半戦は更に混迷の度合いが増すのです。
続きは、日を改めて。
では、また!