<自分に「その時」が訪れたら>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
今日は、重めのタイトルをご紹介します。
<内容紹介 amazonより>
死とは、長い過程であって特定の瞬間ではない―人生の最終段階と、それにともなう不安・恐怖・希望…二百人への直接面接取材で得た“死に至る”人間の心の動きを研究した画期的な書。
◆「死」に向き合おうとしなかった時代
この本は精神科医である著者によって約50年前に書かれています。
当時は、医学の進歩の過程で、「病気を治療し延命させること」を最優先し、肝心の「患者そのもの」の存在を置き去りにしていた時代だったようです。
不治の病で死期が近いにもかかわらず、無理に延命治療を継続し、患者に余分な苦しみを与えていました。
たくさんのチューブに繋がれものも言えない患者を見ようとせず、計器の数字ばかり見ている医師や看護師がいました。
そんな患者本位でない医療に疑問を抱き、自らが先頭に立って、200人もの末期患者に直接インタビューし、取り組むべき課題をあぶり出していきます。
◆死ぬ過程には段階がある
例えばがんなどで、回復の見込みが薄いとき、余命宣告を受けます。
そこから実際に亡くなるまで、大きく分けて5つの特徴的な段階があることが分かりました。
①否認:「自分であるはずがない」と、未だ信じられない状態。
②怒り:「何故私なのだ!」という怒り。八つ当たりする。
③取引き:少しでも命を長らえさせてくれるなら、何でもします。という懇願。
④抑うつ:社会的に、身体的に、一つ一つ出来なくなっていく辛さ。
⑤受容~虚脱:周囲にほとんど関心を失っている状態。穏やかに亡くなる。
それぞれの段階によって、同じ患者であっても反応はかなり異なります。
各段階によって、寄り添う者がとる行動、とってはいけない行動がどんなものであるか、想像つきますよね。
例えば、死ぬための準備に入っている④や⑤の段階で、「励まし」のような言葉は、必要ないでしょうね。
ただ手をとっているだけでいいと思います。
このように筆者はたくさんの患者に地道にインタビューした結果、死を前にした患者に何が必要かを明らかにしていきました。
当初は、「治療の邪魔になる」といった理由で、協力を拒む病院が殆どであったといいます。
医師の立場が強く、十分な情報が与えられないまま、「闘って生き延びましょう」という掛け声のもとに、治療がなされていた時代だったのでしょう。
しかし、このインタビューに実際同席した、現場の医師や看護師に意識変革が起こり、患者への向き合い方が改善された、という評判が広がっていくのです。
彼の行動が、医療のあり方を変えるきっかけとなったのです。
「尊厳死」という今では当たり前の考え方のもとですよね。
◆「死ぬ瞬間」は、多くの場合とても穏やかなもの
末期患者の殆どは死期の近い事を自覚していて、「死」について語ることに、決して嫌な思いはしていない。
死に向かっていく過程で、患者は「死」を忌み避けるのではなく、むしろ積極的に語りたいものなのです。
人間として、どう死にたいか。自分も同じ立場に立ったなら、そう思うでしょう。
考える時間を与えられず、苦しい治療を強いられたくはないですよね。
もちろん希望は絶対に必要です。
それが無いと、残りの時間も生きる気力を無くします。
しかし、追いかけてくる「死」から逃げるばかりではなく、一度「死」のほうに向き直って、最後ぐらい人に委ねず自分の意志で、死に向かって歩いていきたい、と思いましたね。
それから、自分の身近な人を不幸にも見送ることになった時。
自分には何ができるのか。
いろいろ考えさせてくれた本でもありました。
では、また!