<「あきらめる」は自分で決めること>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私ちくわがサポーターとして活動させていただいている、「彩ふ読書会」のメンバーを集めて、哲学カフェを開催しました。
昨日に引き続き後半のレポートをさせていただきます。
前半部分の記事はこちら
1時間ほど経過しましたので、10分休憩をとったのち、後半戦をスタートしました。
◆合理的な選択といての「明らめる(あきらめる)」
・「好き」というほどでなくても、「向いていて仕事になるから」という理由で選択した「あきらめ」もある。
こんな意見がありました。
人生は常に、夢ばかりではなくむしろほとんど「現実」と向き合う日々です。
日々の糧を得ること、そのために「夢」をあきらめることはよくあります。
そこで重要な基準が、ここで出てくる「自分に向いているかどうか」です。
何事もやっていると、自分に向いているかどうかは、嫌でもわかってきます。
他人と比較して上達が遅い、かなり努力しても全く敵わない、そんなことがあります。
冒頭に「明らめる」という字を使用したのは、「あきらめる」には、「自分を見つめ明らかにする」という意味をもっている、ということを教えてくれた方がいらっしゃったからです。
やりたい事と、向いている事はイコールではないことがよくありますよねー。
◆日本式根性論
・「あきらめなかった人」がいつも時代を切り拓く
そんな意見について、いろいろな考えが出ました。
それは真実です。周りのみんなに白い目で見られても、自分だけは信じた仮説に向かって、あきらめずに取り組む。
そしてその結果、偉大な発見が待っているのです。
世の中の偉人伝はそういうものです。1%の成功者が語っているものです。
それを信じ、あきらめずに続ければ夢はきっと叶う!といったある意味根性論が日本には根強くあります。
上記の通り、時代を変えるのはあきらめなかった人です。それは疑いようがありません。
「GRIT(やりぬく力)」は人として成長する重要な能力です。
しかし、残りの99%の人はそこまでたどり着かないのです。
そして限られた多くの時間を叶わない夢に費やしてしまい、別の道をやり直すきっかけを逃しているかもしれません。
その辺の「見極めが肝心」というのでしょうか。
それこそが「あきらめる」の真実なのではないか、と皆の話を聴いていて、思ったのです。
◆「他人」との関わりにおいて
・応援してくれている人の期待を裏切りたくないから「あきらめない」
・辞めたら周りに迷惑をかけるから「あきらめない」
・「出来なかったヤツ」と思われたくないから「あきらめない」
このような意見が出てきました。
こんな理由で「あきらめない(あきらめられない)」ことは、あります。私もあります。
「あきらめる」選択に、他人の存在が関与することは、よくあるということです。
別の方がこれを継いでいただいて、
・自分にとって結果マイナスの関与もあるけれど、「あの人が頑張っているから私も頑張ろう」という、その時はプラスモチベーションが働くこともある。
という意見がありました。次いで、
・「あきらめない」は、時と場合による賭けのようなもの、後になってみないと、それが良かったのかどうだったかわからない。
なるほど~。その通りですね。
◆「選択」に対する「自信」と「後悔」
・「あきらめた」ことに対し、理由を付けそれが正しかったと思うようにしている。
という意見や、それに対し、
・「あきらめた」ことに対し、それでも後悔と不安が拭えることはない。
という意見もありました。
「あきらめた」後の自分の気持ちについての意見が多く出てきました。
では、「あきらめ(=選択)」に対して自信がある人は、どういう状態なのか?
人生で何か選択をするときは、1対10のような分かり易いものではなくて、7対8ぐらいの僅差の選択肢で、後ろ髪引かれる思いで選択することも多いです。
でも、それを先述のような、合理性や好き嫌い、向き不向きなど納得いくまで自分に向き合った末、これでいこう!と選択した過程にこそ自信の根源があるのではないか、と私は思いました。
(そういうけど、そんなもんじゃないよ、という反論は受けますが)
◆哲学カフェまとめ
哲学カフェは時間が来たらまとめずに終わります。この日もそうしました。
なので、まとめはしませんが、(しないのかい!)「あきらめる」に対して、思った事。
選択の過程、結果の善し悪しも含めて、「自分の捉え方次第でどうにでもなる」。
だからこそ、「どれだけ自分が主体になって決められるか」なのかな、と強く感じました。
◆アフター哲学カフェ
2時間の哲学カフェ終了後、ほとんどの人が場に残ってランチ交流をしました。
読書会についての話が中心に盛り上がり、幸福な時間を過ごすことができました。
そして、退出時刻になり、解散。
その後も少し中崎町散策を楽しみました。
皆さま、楽しんでいただけましたでしょうか?
哲学カフェを通して何か一つでも、お土産を持って帰っていただけていたら幸いです。
また是非やりましょう!!(来てくれる方がいるかぎり)
以上でレポートを終了します。
では、また!