<「許す」は価値観のギャップを認めること>
こんばんは。ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
私ちくわがサポーターとして活動させていただいている、「彩ふ読書会」のメンバーを集めて、「哲学カフェ」を開催しました。
昨日、前半部分のレポートを書かせていただきました。
本日は、その続きを書いていきたいと思います。
※先日の記事はこちら
◆前半まとめ
前半部分で出てきた主な意見です。
・「許す」とは「許さない」状態から、変化するもの。
・「許さない」状態が悪いということではない。
・「根に持つ」ことは誰にでもあることでは。
・「腹が立つ」ことはあっても引きずることをしないので、「許す」「許さない」はあまり無い。
◆「許す」とはどうなること?
「許さない」状態についてかなり時間を費やした感じがありましたので、一度目先を変えるために、一度原点に戻って、
「『許せない』から『許す』に変わるのは何故だろう?」という問いを投げかけてみました。
そこから、「相手を認める」「事情を理解する」という意見が出てきました。
逆に言うと、「許せない」は「相手を認めていない」「誤解している」状態にあるということがいえます。
言い換えると、「許せない」は自分と相手の認識や価値観の違いであり、「許す」ことはその違いを対話によって埋めたり、埋められないまでも認めることが出来た状態、ということになります。
◆自分を「許せない」ことって、よくあります
このような意見があり、私はハッとさせられたのです。
「自分」対「他人」の構図でずっと語っていましたが、確かにそういう事はよくあります。
ダメだと分かっていても、夜遅くの柿ピーがやめられない自分。
20分で起きようと思って居眠りしたら、2時間経っていた自分。
じゃあそれは何に対して自分が許せないのか?
それはおそらく、自分で決めている「基準」に対するギャップがあった時。
じゃあその「基準」はどうやってできているのか?
おそらく、周囲との関係性の中で、自分はこのぐらいのレベルに到達していたいという、自分なりの「価値基準」ということになります。
◆自分なりの「価値観」って?
こういった問いを重ねることによって、ようやく「許す」の正体がおぼろげながら見えてきたのです。
「価値観」という言葉は前半にも出てきたのですが、「許す」に関して、キーワードになっていると思います。
目の前の事象や言動が、自分の「価値観」とギャップがある時、人はストレスを感じるということです。
そのギャップが自分の許容を超えた時、「許さない」状態になるということが言えるのでしょう。
直接自分に関係がなくても、道徳的に理解しかねる人物のニュースを耳にした時「許せない」感情が起こるのも、そういう理由からでしょう。
自分に対して「許せない」ということから発した一連の問いでしたが、結局前半部分にもつながってきて、解きほぐしてくれる大きな流れとなりました。
◆「許す」とは、ギャップを「理解する」「認める」こと
程度の差こそあれ、自分の価値観と照らし合わせた結果として生じたギャップが「許せない」だとしたら、「許す」はそのギャップを「理解する」「認める」ということになります。
「多様性」とは最近よく耳にしますが、「違いを認めること」に関する書籍は、当読書会でも何度も登場し、メンバーの皆さんもよく覚えていることと思います。
今後腹が立つことがあった場合、自分の価値観はどうなのか、他人の価値観がどこにあるのか、認めあえる余地はそこにあるのか、一歩引いて考えることができるかもしれませんね。
約2時間あまりの哲学カフェでしたが、何とかここまでたどり着くことが出来ました。
皆さまに導いていただいた私にとっての収穫は小さくないものだったと思います。
◆最後に。
「許せない」状態が続くということは、価値観のギャップを理解し埋めることが出来ない、ということになります。
それは道徳的に到底許すことができないのかもしれませんし、自分の価値観と180度違ってとうてい相いれないものなのかもしれませんね。それも理解できます(私もそういうことはあります)。
私に関してなのですが、どちらかというと「許せる」ほうの人間になった思っています。
それは、年齢を重ねた結果というのもありますが、
「許せないこと」=「許せない人」ではないと思うようにしているからだと思います。
つまり事象と人を簡単に結び付けてしまわないように気を付けているということです。
「罪を憎んで人を憎まず」とはよく言いますが、感情に自分が囚われてしまうことで生まれてしまう無駄な摩擦を避けることができるのではないでしょうか。
◆終了です。
哲学カフェは時間になったら終わります。
議論は途中でしたが、21:20になりましたので、打ち切りました。
残りは宿題です。かくいう私もこうやって2日間にわたってアフターてつがくを実践している次第です。
今回は、結果としてテーマがマイナス感情と表裏一体であったことで、重い話になりがちでしたが、6名の哲学者の皆さんが何かの気づきや経験を持って帰っていただくことができていたら、幸いです。
最後に人生初体験の板書を恥ずかしながらご紹介し、哲学Barのレポートを終了したいと思います。
ありがとうございました。
では、また!