<他人のために動く楽しさについて>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
何かをやりたくなる時の動機は大きく分けて2つあると思います。
①それをしている時が純粋に楽しいから
②それをすることに意義があると思うから
①は、どんなことでしょう。
・ケーキを食べる
・お笑い番組を見る
・キスをする
・高い買い物をする
②は、どんなことでしょう。
・ボランティア活動
・子供の教育
・飲み会の幹事
・戦争映画を観る
こうやって例を挙げてみると、どういうことかわかります。
①は自分が良くなる行為、②は社会(他人)が良くなる行為です。
では、「良くなる」とは、何が「良くなる」のでしょうか。
①の快楽を伴うような行為は、自分の気持ちが良くなることですが、
対して②の意義のある行為というのは、やっている行為自体はそんなに楽しいことではない場合が多いので、直接気持ちが良くなるわけではないですよね。
それでも、やりたくなるというのは、どうしてでしょうか。
ひとつは、「感謝されるから気持ちいい」ということでしょう。
道路の清掃活動なら、近隣の人が気持ち良くなったと喜んでくれます。
階段で重い荷物を運ぶお年寄りを手伝うというベタなシーンもそうですね。
感謝をされたいから、やるというのであれば、②の仮面をかぶった①ということもできますけど、やっている行為自体で他人が良くなっていることは確かです。
では、「リサイクル活動」や「戦争映画を観る」というのはどうでしょうか。
リサイクル活動は、森林伐採防止や化石燃料節約によって、将来に生きる人々の暮らしが良くなる、というように、良いことがだいぶ先になるし、自分が関われないかもしれないですよね。
戦争映画を観るというのは、戦争の悲惨さを知って殺し合いをなくすことを皆で考えることです。これも、自分を含め皆の幸せを考えています。
これらは、感謝されないかもしれないけど、やるということですよね。
そこには、大切な人が幸福に過ごしてほしいという「愛」や、「自分は人のために動いている」という「貢献感」というものではないでしょうか。
そして、こういった愛や貢献感を伴うことは、飽きずに続けられることが多いように思います。
快楽をともなう行為は、決して悪いわけではないですし、それがあってこその人生だと思いますが、性質上そっちにばかり流されやすいので、意識的に意義のある行為を生活に組み込んで、その楽しさに気づいてみませんか。
人のために動いた後のビールはより美味しいですしね。
では、また!