主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」 鴻上尚史 佐藤直樹 ②

<ほんの少し賢い「個人」になるために>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、この本の感想の続きを書いていきたいと思います。

 

昨日の記事はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日は、コロナ下で顕在化した日本人の特徴的な行動について、「同調圧力」というモノの存在が強いのではないか、そしてその同調圧力については、「世間」という言葉の意味を考えていくことによって見えてくる、というふうに書いていきました。

 

そして、その「世間」の特徴として、

・お返しのルール

・年上・身分のルール

・みんな同じのルール

・儀式のルール

があり、お返しのルール、年上・身分のルールについて書いていきました。

今日は、その続きを書いていきたいと思います。

 

◆みんな同じのルール

「出る杭は打たれる」という言葉が表すように、まさに「同調圧力」の典型と言ってもいいのではないでしょうか。

ちょっと考えてみますね、、。

・率先して仕切ろうとする人

・成功事例を頻繁にアピールする人

・PTAの集まりにでオシャレしてくる人

・高級車を複数台持っている人

・みんな残業している中で定時で上がる人

・飲み会に参加しない人

なんだか、書いていると、胸が痛くなってきます。自分にも思い当たるフシがありますね。

 

単なる妬みじゃないの?というのが混じってたりしますけど。

なんか帰りづらい、断りづらい、っていうのありますよね。

あと、自分が我慢しているのに、あの人は、っていうモヤモヤとか。

 

いや、やっぱり妬み意識と強く結びついてますね。

 

◆儀式のルール

これは、慣習とか、独自のルールとかいうものですね。

冠婚葬祭のマナーとかで、地域独自の慣習があったり、守らないと陰口を叩かれたり。

引き出物や半返しのルール、あれほんとに面倒ですよね。ただそうなっているからというだけで、従ってしまっています。

一時期噂になった、「お辞儀ハンコ」ルールとか、笑うしかないですよね。

 

以前このブログでも書いた、混んでいないエスカレーターでも左に立ちどまると(大阪以外は右?)落ち着かないとか、も、同調圧力なんでしょうかね。

 

会議で意見を言う(建設的であるか、ないかにもよりますが)ことで白い目で見られることもありますよね。質問は無いですか?って聞かれて質問したのに、周囲の目がおかしい。「質問は無いですか?」っていうのが「終わるので質問するなよ」っていう裏のメッセージを含んでたりする。

 

◆そろそろコロナに戻ります。

このように「世間のルール」の特徴を考えてみると、コロナで起こっている問題のひとつひとつが説明可能になってきます。

まず問題になっている「自粛警察」というもの。

1件だけやっているパチンコ屋さんに対し、テレビやネットでさらし者にし、店前で嫌がらせ(営業妨害)も起こったりする。

行政がの指示があいまいだとか、休業補償の問題だとかもあったのですが、明らかに行き過ぎています。

「他県ナンバー攻撃」なんてのもありましたね。

ここまでくると、「世間のルール」が「法のルール」より優先順位が高まっているということがよくわかります。

 

マスク着用に関するあれこれも。

密が発生しない状況では、マスク無しでもあまり変わらないという前提に立って行動を判断すればいいはずなんですが、外を歩く時マスク無しだとやっぱり落ち着かない自分がいるんですね。

 

「感染者バッシング」はどうでしょう。

初期のはひどかったですね。感染者だけでなく、その家族や家にまで嫌がらせをする。世間意識の強い田舎では特にその傾向が強かったといいます。

「個人」と「社会」の間に、強い「世間」がある。コロナにかかると、まずは「世間」に対して謝罪しなければなりません。自分が罹ったことにより、この「世間」に迷惑をかけることについて。

 

「新しい生活様式」というスローガンはどうでしょう。

一見、合理的なことを推し進めようとしていますが、これもスローガンが先行してしまうと、そぐわない業界に働く人にとっては、単なる不便でしかなかったりすると思います。

結果としてITに弱い高齢者を排除することになったりもしますしね。

「飲み会は自粛」が定着してしまうと、外食業界に深刻なダメージになるだけでなく、それだけが楽しみという人は精神に支障をきたすかもしれません。

 

◆不寛容な時代に窒息しないために

この本は一貫して、「同調圧力はなくならない」という論調で進められています。

何だか暗い気持ちになってしまうのですが、(もちろん良い面もたくさんありますよ!世界一安全な国といわれる要因もそこにあったりしますしね)、終わりに「不寛容な時代に窒息しないための提言」が記されています。

そもそも同調圧力に自分が苦しんでしまう原因として、そのルールが存在するコミュニティに自分が関わり続けなくてはいけないから、ということがあります。

 

そのコミュニティからオサラバできればいいのですが、学校や会社や地域社会で一時的にせよ逃れられないことが多いです。

だから、できるだけ複数の「世間」を持ち、自分がつまはじきにされることの恐怖を薄れさせましょう、というんですね。

 

この本では「ほんの少しだけ『賢い個人』になる」と表現されていますが、

会社で苦しんでも、そのぶん家庭やサークル活動で、承認を得られるとか、収入の逃げ道を作るとか、サバイバル技術を磨いておくとか、最悪これがなくなっても困らないという状況を作っておくと、一歩引いて目の前の状況を観察できるのではないでしょうか。

 

いずれにしても、「同調圧力」を考えていくと、目の前の出来事がそれが原因で起こっている事がもっと多いような気がします。

そんな時こそ合理的な目を併せ持って。「必ずしもそうじゃなければならない」っていう気持ちを忘れずにいたいです。

 

こんなところで終わりたいと思いますが、感想を言い出すときりがないほど、考えるヒントがたくさん詰まっている本に出会うことが出来てよかったです。

 

では、また!