<大人になるって、いいことなの?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今回のテーマは「大人」。
今日は昨日の続きを書いていきたいと思います。
昨日の記事はコチラ。
◆「想像力」を働かせることが大人の対応?
昨日は「想像力」が「大人である」ことの背景として大きく関わっていそうだということを書いてきました。
では、想像力とはどういうことでしょうか。
「裸の王様」を例に出した方がいらっしゃいましたが、王様には見えない服が見えていて、その周りの大人も「素晴らしいお召し物だ」と口をそろえて言う。そして何も見えない子どもだけが「王様は裸だ!」といいます。
この「見えていない服」が「想像力」だといえそうです。
「忖度」や「配慮」という言葉も出てきましたが、現実だけが見えるのが子供、前後の流れで想像を加えてみるのが大人ということになります。
「お金」も例に出てきましたが、お金なんてものはまさに「紙切れに価値がある」と皆が思っていることによる想像の産物、抽象概念といえるものです。
その抽象概念を活用できるのが大人。さらにいうと想像の産物であるお金を、現在使うのではなく、将来という想像上の世界のためにとっておくという高度な作業ができるのが大人ということになるのではないでしょうか。
◆大人になるというのはいいことなの?
ちょっと話題が変わって、
で、結局「大人になる」というのはいいことなの?
という意見が出てきました。
身体的や精神的に大人になるのは、人間が成長するにとって自然なことといえるのですが、果たして「大人になる」のは、自分にとっていいことなのでしょうか?
「配慮する」や「忖度する」には、ネガティブな意味にも使われますよね。
このブログでは何度も書いてきていますが、「いい・悪い」は「何に対していいのか、悪いのか」を考えないと意味がないんですね。
だから、「大人になるということ」が「何(目的)に対して良い・悪い」かを考えてみればいいと思います。
「自己管理能力」の話が出た際、「時間管理や、お金の管理などの自己管理ができないと、社会人として落伍してしまう」という意見がありました。
仕事がうまくいかないと、生活が苦しくなり、生きづらくなります。
いずれ親元から離れ、自分の力で生きていかなくてはならなくなった時、「大人であること」は必要であると言えそうです。
でも、それが自分にとって「楽しいかどうか、幸福感を得ているかどうか」については、「やっぱり大人より子どもの方がいい」という意見が多かったです。
子どもはよく「お友達はどう思っているか考えなさい」「周りを良く見なさい」「明日も学校なんだから早く寝なさい」などといって親に怒られます。
先にも触れましたが、「想像力を働かせる」ことは社会生活上大切なことだけれど、自分のやりたいことをやりたいようにできない、決して楽しいとは言えないということです。
もう少し続きがありますが、時間が来ましたので、続きは日を改めて。
では、また!