<考えるとはどういうことか>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日も先日の記事の続きを書いていきたいと思います。
一昨日の記事はコチラ。
先日の記事では、哲学カフェで大切にしたいと思っていることのもうひとつ、「本質の探究」について書きました。
そして本質の探究とは、背景を踏まえて別の言葉に言い換えていく共同作業である、ということを書きました。
そして本質の探究が、自分にとってどういう意義を与えてくれるか、というところなんですが、大きく以下の2つかな、と今は思っています。
「明日から、その言葉に向かう姿勢が変わる」
「ものごとを、縦に考える練習」
まず、
「明日から、その言葉に向かう姿勢が変わる」
ですが、これは、文字通りそういうことです。
例えば「欠乏感」がテーマで、「欠乏感は四六時中自分を追い立てる魔物だ」と以前までは思っていた人がいたとします。
それが哲学カフェでみんなの意見を聞きながら考えた結果、欠乏感の原因が「氾濫する情報によって掻き立てられる不要不急の承認欲求である」と認識することができると、明日からの自分の行動が変わるかもしれません。
物理的に余分な情報を遮断する努力をしたり、また「私、今、欠乏感が生じているかも」という、自分を客観的に見る視点が生まれて、感情をコントロールすることができるかもしれません。
次に、
「ものごとを、縦に考える練習」
ですが、これは類推(アナロジー)という言葉でも表現できるかもしれません。
哲学カフェでは、具体例(エピソード)を語ってもらうのですが、その具体例がある背景でつながることが良くあります。
例えば「カワイイ」の回で自分が経験した、小動物をかわいがる気持ちと、アイドルが持っている「あざとさ」が、「弱い存在への慈悲のような気持ち」という背景でつながった、という経験などです。
「その言葉の背景になるものは何か?」をたどっていくこと、つまり「Why」を重ねていくことが、「ものごとを縦に考える」ことであると思っています。
そして「Why」を重ねた後、「How」を使って、具体的に戻していくのが「類推」です。
ものごとを縦に考えることができると、哲学カフェがもっと楽しくなるだけではなく、日常生活に役立つことがとても多い、とも考えています。
この辺については、色んな本に書いてあるので興味があれば、そちらを読まれることをお薦めしますが、
(例えばこんな本 メモの魔力 -The Magic of Memos- (NewsPicks Book) )
一言で言うと、
「ものごとを縦に考えること」が、「考えるとはどういうことか?」の答えになりうる
ということでしょうか。
うーん、抽象的な終わりになってしまいましたが、今日はこの辺で。
では、また!