<「社会」と「世間」のダブルスタンダード>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本。
内容<amazonより>
「空気」と「世間」を知り、息苦しい現代日本を生きていくための方法を示します。
<この本は>
本紹介に「会心作!」とありますが、まさに、会心の腹落ち感を味わえました。
「空気」とは、「世間」とは。日本の歴史・文化との関連。その存在がグローバル時代においてどのように変化し、私達はどう付き合っていけばよいのか。
自分と社会とのつながりを再考するいい機会となりました。
ボリューム:★★☆☆☆
読みやすさ:★★★★☆
新たな知見:★★★★★
お役立ち度:★★★★★
<概要>
◆「空気」の正体は、弱い「世間」
「空気」とは、「世間」の流動化したものである。
これが筆者が達したひとつの結論です。
「周囲がこう思っているだろう」と想像したことを、自分が思っていることよりも優先する。そんな意味合いが「空気を読む」にはあります。
筆者はこの現象を「世間」という言葉を用いて表現しています。
「世間」というのは、「世間様に顔向けできない」などというように、何だかよくわからない、外にある存在です。
その「世間」というものをまず考えてみることからこの本は始まります。
◆「世間」とは、「個人」と「社会」の中間にある存在。
「世間」は、「社会」とは異なる存在であると筆者はいいます。
「世間」は自分が属するコミュニティ、例えば、勤める会社、自分の家族、隣近所、自分のクラスなどです。
対して「社会」は、「それ以外の他人」ということになります。
「個人」と「社会」の間にあるのはおもに「法律」です。
いっぽう「個人」と「世間」の間にあるのは、「契約」というのもあるでしょうがほとんどは慣習などの「明文化されていないルール」です。
そして、「個人」が、「社会」と「世間」の2つのルールで衝突が起こった時、「世間」のルールを優先してしまいがちになる、と述べられています。
例をあげるなら、粉飾決算。
法律では違反行為で、見つかると罰せられます。しかしそれを認識していて、集団のルール(社長のいうことや、○○年連続増益記録を死守)などに従ってしまう。
身近な例で言うと、公共の場所での過度な場所取りなんかもそうですね。
自由席のスタジアムで代表者が先に新聞などのものをたくさん置いて、何時間も後にくる友人の場所を確保しておくという行為も、世間優先の行動と言えそうです。
◆「世間」とは、村落共同体(助け合い)が現代まで続いているもの
この状態は、過去の「村」社会の名残である、と筆者は言います。
昔は農作業・水利・葬式など隣近所で助け合わなければ、生活が成り立ちませんでした。
世間のルールに従うということは、その集団に属するためのコストを支払うことによって、相応の恩恵を受けられるということです。
そしてそのコストを支払わない者は、「村八分」という制裁があり生活できなくなる、といった恐ろしさがある、という考えが現代まで続いている、ということです。
◆「世間」を特徴づける5つのルール
現在まで続く「世間」というものを特徴づける5つのルールがある、と筆者は続けます。それが
①贈与・互酬(送ったらお返し)
②長幼の功(年上が偉い)
③共通の時間(同じ時間を過ごす)
④差別的で排他的(よそ者を敵視)
⑤神秘性(独特の手続き)
です。
詳しくは書きませんが、これは、是非読んでいただきたいポイントです。
この5つのポイントに「世間」が凝縮されています。
例えば、「既読スルーができない」というのは①の心理だし、「歳を確認してタメ口にするかどうかを決める」のは②。「飲み会の途中で帰りづらい」のは③、「異なる宗教は邪教であるとする」のは④で、「やたら面倒な神事」は⑤になります。
◆では、「空気」は?
ここまで「世間」というものの特徴を、筆者の論を要約しご紹介してきましたが、では「空気」とどう繋がるのか。おぼろげながら見えてきましたが、もう少しです。
しかしながら、そろそろ時間なので今日は終わりです。続きは日を改めて。
では、また!