みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

哲学カフェの記録を中心に、読書記事も書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第32回「ファッション」②

<「おしゃれ」は誰が決める?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日は昨日の続きで

「ファッション」

について書いていきたいと思います。

 

昨日の内容はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

昨日書いた内容としては、以下のようなものです。 

・ファッションの目的(差別化と所属)

・ファッションの優先順位(年齢や性別)

・ファッションとおしゃれの違い

 

◆「おしゃれな人」って、どんな人?

ファッションをどう使うか、から入った哲学カフェですが、後半戦に入り、一度出発点に戻ってきます。

 

そもそも「おしゃれ」というのは何なのでしょう?

あなた・私が思う「おしゃれな人」ってどんな人なんでしょう?

・流行の服を着こなしている

・自分の体形に合った服を着ている

・その場面にふさわしい格好をしている

・コーディネートに統一感がある

センスが良い、趣味がいい、など別の単語もメンバーから出てきました。

 

どうやら、「おしゃれ」というのは一言で表現するのは難しそうですね。

メンバーの意見で「全体のバランスがいい」というのがありましたが、ファッションというのは総合芸術であるようです。

 

「自分のことを知っている人」という意見もあり、なるほどと思いました。

 

「服に着られている」という意見もありました。良い服を着ていても、どこかおかしい、おしゃれじゃない人の表現ですね。

 

◆「おしゃれ」は誰が決める?

「おしゃれ」というものは、全体のバランスが取れていて、その人に似合っている、ということであるならば、「おしゃれかどうか」を決めるのはあくまで自分ではなく他人ということになり、自分で自分のことをおしゃれかどうか、判断することはできないのでしょうか?

 

「自分が気に入って買った服を着ていったら、あまり評判がよくなかった」

というあるあるな意見もありました。

 

では、他人のことを「おしゃれな人」と思うことは、その他人を自分の価値基準で判断している、ということになりますよね。

 

ということは、ある人を「おしゃれである」と思うことがあっても、別の人から見ると「おしゃれではない」ということがあるということです。

こうして書いてみると、まぁ、当たり前のことなんですが。

 

でも、多くの人が一致してその人のことを「おしゃれ」だと思うのは、どうしてでしょうか。

 

その価値基準のひとつが、「流行」ということになるんでしょうか。

あるいは、生活様式であったり、習慣であったり、地域制であったり。

 

◆その他のトピック

とまぁ、哲学カフェっぽく考えてきましたが、実際今回の哲学カフェ「ファッション」は、最初に出た問いが多かったように、目まぐるしくトピックが変化したのも印象的でした。

 

以下のようなものです。

・一周回ってかっこいい、って、どうしてなるの?

・ひとつ前の流行はどうして「ダサい」とみなすの?

・まったく同じ服を着ている人を見つけると落ち着かなくなる問題

・ファストファッションの問題とそれを買ってしまう自分

・流行って、結局だれが作っているの?

・流行を「受け入れる」側は、どうして受け入れるの?

 

最後の3つは、社会や経済の部分に入っていくので、これももっと考えていけそうですね。

いずれにしても、あっという間の2時間でした。

以上で、今回の哲学カフェのレポートを終わりたいと思います。

 

お付き合いいただきありがとうございました!

 

では、また! 

 

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