<「おしゃれ」は誰が決める?>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日は昨日の続きで
「ファッション」
について書いていきたいと思います。
昨日の内容はこちら。
昨日書いた内容としては、以下のようなものです。
・ファッションの目的(差別化と所属)
・ファッションの優先順位(年齢や性別)
・ファッションとおしゃれの違い
◆「おしゃれな人」って、どんな人?
ファッションをどう使うか、から入った哲学カフェですが、後半戦に入り、一度出発点に戻ってきます。
そもそも「おしゃれ」というのは何なのでしょう?
あなた・私が思う「おしゃれな人」ってどんな人なんでしょう?
・流行の服を着こなしている
・自分の体形に合った服を着ている
・その場面にふさわしい格好をしている
・コーディネートに統一感がある
センスが良い、趣味がいい、など別の単語もメンバーから出てきました。
どうやら、「おしゃれ」というのは一言で表現するのは難しそうですね。
メンバーの意見で「全体のバランスがいい」というのがありましたが、ファッションというのは総合芸術であるようです。
「自分のことを知っている人」という意見もあり、なるほどと思いました。
「服に着られている」という意見もありました。良い服を着ていても、どこかおかしい、おしゃれじゃない人の表現ですね。
◆「おしゃれ」は誰が決める?
「おしゃれ」というものは、全体のバランスが取れていて、その人に似合っている、ということであるならば、「おしゃれかどうか」を決めるのはあくまで自分ではなく他人ということになり、自分で自分のことをおしゃれかどうか、判断することはできないのでしょうか?
「自分が気に入って買った服を着ていったら、あまり評判がよくなかった」
というあるあるな意見もありました。
では、他人のことを「おしゃれな人」と思うことは、その他人を自分の価値基準で判断している、ということになりますよね。
ということは、ある人を「おしゃれである」と思うことがあっても、別の人から見ると「おしゃれではない」ということがあるということです。
こうして書いてみると、まぁ、当たり前のことなんですが。
でも、多くの人が一致してその人のことを「おしゃれ」だと思うのは、どうしてでしょうか。
その価値基準のひとつが、「流行」ということになるんでしょうか。
あるいは、生活様式であったり、習慣であったり、地域制であったり。
◆その他のトピック
とまぁ、哲学カフェっぽく考えてきましたが、実際今回の哲学カフェ「ファッション」は、最初に出た問いが多かったように、目まぐるしくトピックが変化したのも印象的でした。
以下のようなものです。
・一周回ってかっこいい、って、どうしてなるの?
・ひとつ前の流行はどうして「ダサい」とみなすの?
・まったく同じ服を着ている人を見つけると落ち着かなくなる問題
・ファストファッションの問題とそれを買ってしまう自分
・流行って、結局だれが作っているの?
・流行を「受け入れる」側は、どうして受け入れるの?
最後の3つは、社会や経済の部分に入っていくので、これももっと考えていけそうですね。
いずれにしても、あっという間の2時間でした。
以上で、今回の哲学カフェのレポートを終わりたいと思います。
お付き合いいただきありがとうございました!
では、また!