ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

青空哲学カフェ第2回「コロナ禍で感じたこと」①

<コミュニケーションと「顔」>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催している哲学カフェ。

 

対面での哲学カフェは昨年11月に1度だけ開催できましたが、その後再び感染拡大のためオンラインのみになっていました。

そしてようやく、流行の波が引いているタイミングで、1年ぶりに開催することができました。

 

今回も昨年同様、野外公園での実施にしました。

前回とは場所を変え、大阪府下最大級の公園。

 

とってもお天気も良く、秋の空気が気持ち良かったです!

コスモスも綺麗です!

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昼食を持ちより、しばしピクニック。

だんだんみんなが集まってきます。

 

思ったより日差し強かったので、日陰のあるところに移動しました。

絵画に出てきそうな、はす池の庭園です。

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場所が落ち着いたところで、いよいよ青空哲学カフェのスタートです。

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています(今のところ)。

 

◆この日のテーマは「コロナ禍で感じたこと」

この日の参加者は7名。時間は2時間です。

 

この日のテーマは、あらかじめメンバーの検討により選ばれた

 「コロナ禍で感じたこと」

です。

行動が制限され約1年半が経過した今、久々に集まれて語るにはちょうどいいテーマ。暖かな陽気も手伝って、いつも以上にカジュアルな雰囲気でスタートします。

 

まずは、トピックを選定しないといけませんので、各メンバーから、この1年半で感じたことを具体的に出してもらいます。

 

以下のようなトピックが出てきました。

・コミュニケーションのやり方が変わり、付き合い方、人が変化した

・近しい人が重い症状になり「死」を身近に考えた

・行動の判断基準が食い違い、仲が良かった人との距離ができた

・生活様式の変化に慣れてしまい、もう元に戻れないこと

・どこか劇的に変わるかと思ったが、思ったより元通りになったこと

・鬱々として無気力になってしまった

・「自粛」というものが、日常生活に常に付きまとった

 

どれも興味深いトピックでしたが、

この中から、進行役が以下の2点を選定し、掘り下げていくことにしました。

・コミュニケーションの変化

・自粛って何だったのか

 

ということで、それぞれ出てきた話題と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆コミュニケーションって?

オンライン○○の功罪

オンライン会議の存在はコミュニケーションそのものを大きく変えましたね。

 

仕事においては、社内会議がオンラインになると効率が飛躍的に良くなったりしましたし、そもそも会議が無くなったり、という話も。

 

仕事以外では、「オンライン飲み会」に始まり「オンライン帰省」、「オンライン授業」、「オンラインライブ」などが流行語になりました。

この集まりの元となった読書会でも、「オンライン読書会」が開かれています。

 

しかしながらこのオンライン○○に関しては、「どこか物足りなさを感じる」との声が多く、その要因について深堀りしていくと、会うことの「目的」によって違うのだと行くことに気付きます。

つまり、会議は会って「課題を解決すること」が主目的であり、帰省は「会うこと」自体が主目的であることの違いにあるということでしょうか。

 

さらに話をすすめていくと「顔」というキーワードにも行きつきます。

 

顔とアバター

対人コミュニケーションにおいては言語以外の情報がほとんどを占めるとよく言われますが、そこには視線や表情というのがかなり重要になってきています。

 

相づちや相手の視線などはカメラOFFにしているとそもそもありませんし、たとえカメラONであっても視線を合わせるということはなかなか難しいです。

 

他人とコミュニケーションをするにあたって、電話などでたとえ顔が見えていなくても(会ったことが無くても)無意識に顔を思い浮かべずにいられない、という意見がありましたが、特定の他人を記憶にとどめる時ほとんど「顔」というものに結び付けているということに気付きます。

 

派生して「アバター(自分を代替するキャラクター)」という言葉が出てきましたが、顔の出さないオンライン会議でアバターをいつも使っている人はそのアバターでその人を記憶してしまいます。

その人はどんな人柄であるということがそのアバターに結び付いてしまうのです。

 

自分というものが顔に結び付くことを逆手に取って「アバター」をもうひとりの人格とできる「セカンド・ライフ」というものが少し前に流行り、またVRを活用した「メタバース」という構想がじわじわ進んでいる今こそ、この「顔」について考えることは非常に興味深いことでした。

 

◆自粛・自粛。

ここで約1時間が経過し、しばしの休憩をはさんで、進行から次のトピックに移るていあんがありましたので、次は「自粛」にしようということになりました。

 

自粛は要請するもの?

どうして自粛できたのか?

不要不急って?

 

など、こちらも流行った言葉についての各人の感想がおもしろかったです。

しかし時間となりましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!