みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

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旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第40回「怒り」②

<自分に関係ないことにも、怒る>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今日はおとといの続きで

「怒り」

について書いていきたいと思います。

 

おとといの内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

おととい書いた内容としては、以下のようなものです。 

・良い怒り・悪い怒りとは?

・感情が先か、目的が先か

・怒りは不満

・怒りは理想と現実とのギャップ

今日はこの続きを書いていきたいと思います。

 

◆自分が傷つけられていないのに、怒るのはどういうこと?

自分が傷つけられたり、からかわれたりしたら怒るのはわかりますが、

自分に直接関係のないのに、例えば芸能人が不倫したとか、ある企業が粉飾決算をしたとか、についても怒ってしまうのはどうして?

という問いがありました。

 

芸能人の不倫会見に怒る理由については、

・道徳的(自分の倫理観)に反した行動が許せない

・共感して自分ごととして考えてしまう

・ストレスのはけ口として、攻撃したい人を探している

さまざまな意見を聞くことが出来ました、それぞれに違うようで、どこか似ているようで。

 

「ネット上で攻撃する人」についても、盛り上がりました。

人の不幸は蜜の味という言葉もあるぐらいで、私も例にもれず有名人のゴシップが嫌いではありません。

 

根底には何があるのでしょう。

「アイツだけ成功して、自分は、、」といった嫉妬感情から、相手がスキャンダルで自滅し、「ざまぁみろ」という快感のような気持ちに変化するのは、とても卑しい感情とはいえ私も身に覚えがあります。

 

あ、でもそれは、すでに「怒り」ではないような気がしてきましたね。

ネット上で攻撃する人は、「怒っている」というより「ニヤけながら書いている」?

という意見もありました。

 

◆怒りは否定するものか?

怒りというものは、ひとつの感情です。

感情ということは、自然に起こってくるように見えて、やはりそこには「自分の判断」というものが伴います。

 

「お前の母ちゃんデベソ」と言われて、ムッとする現象を考えてみます。

ロシア人に「お前の母ちゃんデベソ」と言ってみても、そのロシア人は何とも思わないでしょう。なぜなら日本語がわからないから。

そうでなくても、自分の母親が暴力親で、あえて離れて暮らしている人がこの言葉を投げかけられた時、おそらくムッとすることはないでしょう。

「事象」と「自分」の間には、つねに「判断」があるということです。

 

ごく当たり前のことですが、怒りには、自分の価値観や大切にしているものを傷つけられた、守りたい、という判断が存在することになり、それ自体は否定されるものではないでしょう。

 

でも、世の中には「アンガーマネジメント」というように、否定されることが多い「怒り」。

そこには、最初にあったように「悪い怒り」「損する怒り」というものが存在すするからでしょう。

 

「怒り」を、「感情」と「その後の行動」に分けて考えた時、「感情」をコントロールするのか、「その後の行動」に注力してコントロールするのか、によっても方法論は異なるんじゃないか、という意見がありました。

 

この辺は興味深かったです。

 

◆終わりです。

今回は「怒り」という言葉を取り上げました。

怒りといっても、損得や嫉妬、感情と目的、色んな切り口で考えることができるものです。

 

色んなお話が聞けた今回のオンライン哲学カフェ、これにて振り返りを終わりたいと思います。

 

では、また! 

 

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