<自分に関係ないことにも、怒る>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。
今日はおとといの続きで
「怒り」
について書いていきたいと思います。
おとといの内容はこちら。
おととい書いた内容としては、以下のようなものです。
・良い怒り・悪い怒りとは?
・感情が先か、目的が先か
・怒りは不満
・怒りは理想と現実とのギャップ
今日はこの続きを書いていきたいと思います。
◆自分が傷つけられていないのに、怒るのはどういうこと?
自分が傷つけられたり、からかわれたりしたら怒るのはわかりますが、
自分に直接関係のないのに、例えば芸能人が不倫したとか、ある企業が粉飾決算をしたとか、についても怒ってしまうのはどうして?
という問いがありました。
芸能人の不倫会見に怒る理由については、
・道徳的(自分の倫理観)に反した行動が許せない
・共感して自分ごととして考えてしまう
・ストレスのはけ口として、攻撃したい人を探している
さまざまな意見を聞くことが出来ました、それぞれに違うようで、どこか似ているようで。
「ネット上で攻撃する人」についても、盛り上がりました。
人の不幸は蜜の味という言葉もあるぐらいで、私も例にもれず有名人のゴシップが嫌いではありません。
根底には何があるのでしょう。
「アイツだけ成功して、自分は、、」といった嫉妬感情から、相手がスキャンダルで自滅し、「ざまぁみろ」という快感のような気持ちに変化するのは、とても卑しい感情とはいえ私も身に覚えがあります。
あ、でもそれは、すでに「怒り」ではないような気がしてきましたね。
ネット上で攻撃する人は、「怒っている」というより「ニヤけながら書いている」?
という意見もありました。
◆怒りは否定するものか?
怒りというものは、ひとつの感情です。
感情ということは、自然に起こってくるように見えて、やはりそこには「自分の判断」というものが伴います。
「お前の母ちゃんデベソ」と言われて、ムッとする現象を考えてみます。
ロシア人に「お前の母ちゃんデベソ」と言ってみても、そのロシア人は何とも思わないでしょう。なぜなら日本語がわからないから。
そうでなくても、自分の母親が暴力親で、あえて離れて暮らしている人がこの言葉を投げかけられた時、おそらくムッとすることはないでしょう。
「事象」と「自分」の間には、つねに「判断」があるということです。
ごく当たり前のことですが、怒りには、自分の価値観や大切にしているものを傷つけられた、守りたい、という判断が存在することになり、それ自体は否定されるものではないでしょう。
でも、世の中には「アンガーマネジメント」というように、否定されることが多い「怒り」。
そこには、最初にあったように「悪い怒り」「損する怒り」というものが存在すするからでしょう。
「怒り」を、「感情」と「その後の行動」に分けて考えた時、「感情」をコントロールするのか、「その後の行動」に注力してコントロールするのか、によっても方法論は異なるんじゃないか、という意見がありました。
この辺は興味深かったです。
◆終わりです。
今回は「怒り」という言葉を取り上げました。
怒りといっても、損得や嫉妬、感情と目的、色んな切り口で考えることができるものです。
色んなお話が聞けた今回のオンライン哲学カフェ、これにて振り返りを終わりたいと思います。
では、また!