みんなの哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

哲学カフェの記録を中心に、読書記事も書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第49回「無駄」①

<「役に立つ」の裏返し?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している読書会「彩ふ読書会」の、参加メンバー同士でサークル活動として始めた「哲学カフェ」。

社会情勢を踏まえ、2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として細々と楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第49回開催になります。

  

前回の哲学カフェ「祈り」の模様はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「無駄」

この日の参加者はのべ5名。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

今回は、いつも通りひじき氏が進行役になり、私はというと、いつものように書記役で進めていきました。

 

この日のテーマは、メンバーの推薦により選ばれた

 「無駄」

です。

私たちは無駄だと思うことをいつもしてしまうのはどうしてでしょう?無駄かどうかというのは、どうやって決まるのでしょう?

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「無駄」に対するイメージ

子どもの時から、大人になるまで、私たちは「無駄」=「悪」と教えられてきます。

水の無駄、時間の無駄、お金の無駄、税金の無駄遣い、紙の無駄、無駄の削減、、。

 

こう考えていくと無駄というものは、「役に立たないもの」と言い換えできそうです。

しかし、「役に立たない」けれども、「無駄」ではないもの、っていうのはあるのでは?

というメンバーの意見がありました。

 

例えば趣味。フィギュアの収集とかはほとんど何の役にも立ちません。しかし本人がその行為を楽しんでいるということにおいて、「無駄」ではありません。

あれ、でもフィギュア収集は本人にとっては「役に立って」いる?どういうことでしょうか?

 

もう少し、「役に立たない」について考える必要がありそうです。

 

◆「無駄」と「対象」

「役に立たない」は、哲学カフェ「役に立つ」

chikuwamonaka.hatenablog.com

でも検討したように、「何に対して」役に立つのか、という対象に左右されます。

 

先ほどの趣味の例をとってみると、趣味は本人の幸福感に対しては役に立っている(無駄ではない)が家族に対しては邪魔で何の利益ももたらさないもの(無駄)ということになります。

 

「役に立つ」と「無駄」は表裏一体に近いもののように思いました。

 

「無駄」=「悪」というイメージが定着している一方で、「世の中に無駄なものなんてない」という言葉があるのも事実です。

 

無駄な努力、無駄にした時間を返してくれ、、などと言いますが、その時結果は出なくてもこの無駄に費やした努力や時間は、本人の経験として等、のちのち役に立つことは良く知られています。

 

無駄というものは、「何にとって」という対象を変えれば、無駄になったり無駄じゃなくなったりするということが分かりました。

 

無駄という言葉とセットでよく使われる言葉として「効率化」という言葉があります。無駄を排除して、限られたお金や時間の中で最大の利益を上げようとすることです。

ここにおける「無駄」というのは、「利益をあげない行為」というものに対して、ということになります。

しかし、短期的な利益になっても長期的な利益にならない、逆に短期的利益にならなくても長期的な利益になる、といった例もあって、やはり「何に対して」という観点が重要であることがわかります。

 

◆「無駄」と時制

「無駄かどうかは、それをやる前には判断できない」

という意見があり、無駄と時間についての関係の話になりました。

 

しかし、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!