ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第44回「役に立つ」①

<いくら性能が優れていても、望まれなければ。>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は、第44回開催になります。

  

前回の哲学カフェ「行き当たりばったり哲学カフェ」の模様はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています(今のところ)。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「役に立つ」

この日の参加者はのべ6名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回も、いつもの通り、ひじき部長が進行役、私が書記役で進めていきました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「役に立つ」

です。

 

私たち人間は誰しも、誰かの役に立ちたいという気持ちはあるはず。でも逆に役に立たないと生きる意味はないのでしょうか?

「役に立つ」という言葉が逆に私たちを縛っているということはないでしょうか?そんな問いからこの哲学カフェは始まったのでした。

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「役に立つ」とはどういうこと?

役に立つの「役」はどういうことなのでしょうか。

「お役立ちグッズ」、「役に立つ英会話」、「役立たず人間」、、

 

似たような言葉に、「便利」という言葉があります。

「便利」と「役に立つ」はどう違うのでしょうか。

 

お掃除ロボットの例が出てきました。

性能の良いものでしたが、部屋の少ないマンション住まいの私にとっては普通の掃除機のほうが速くきれいにできるので、やがて使わなくなりました。

 

ほかにも例が出てきましたが、どうやら「役に立つ」というのは、「自分にとって」という前置きが必要なようです。

 

役に立つという現象を、役に立つ側(お掃除ロボット)と、役に立たれる側(部屋や住人)に分けてみると、「役に立たれる側が望んでいることをしてくれる」ということが重要であって、役に立つ側がいくら機能的に優れていても意味がないということがわかりました。

 

そこで、「役に立つ」の「役」はその場に必要な「役割」の「役」である、ということが理解できたのでした。

 

◆役に立つ「人」と役に立つ「モノ」

役に立つという言葉を羅列していくと、人にとってもモノにとっても当てはまります。

「人が機械に置き換わっていく」などと言う言葉は昔からありますが、やはり役に立つのは、人であってもモノであっても問題ないような気がします。

 

役に立つのが人の場合と、モノの場合に、どこか違いはあるのでしょうか?

という問いについて考えていくと、「機能」という言葉に行きついたのでした。

 

例えば通訳という仕事は、人がやっても、機械がやっても、「翻訳する」という機能を求めているのであって、翻訳するのが人であろうが機械であろうがそこは問題にはなりませんし、その「翻訳する」機能が使う人によって満足いくものでなかったら、人であろうが機械であろうが「役立たず」ということになります。

 

つまり、「役に立つ」ということは、役に立つ側(通訳)と、役に立たれる側(例えばビジネスマン)の間には「機能(翻訳)」があって、実際に役に立っているのはヒトやモノそのものではなくて、それが発揮する「機能」である、ということになりそうです。

 

広い意味で言う「仕事」というものの本質にも通じてくるような気がしましたが、ようやく「役に立つ」ということはどういうことか、が見えてました。

 

◆あなたは、役に立ちたいと思っているか?

話しは前後しますが、ここまでのやり取りでほぼ1時間が経過しました。

そこから休憩をはさんで、哲学カフェは話題を当初の問いである「役に立つという言葉がなんとなく自分を縛っているような気がする」、ということ戻っていくのでした。

その前に、上記のような問いがあり、ここからまた話は深まっていきます。

 

 

今日のレポートはいったんここまでで、続きは、日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

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