みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

哲学カフェの記録を中心に、読書記事も書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

こうべふらんす哲学カフェ4月「意識に影響を与えるものってどんなこと?」

<判断の基準となる意識>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

今日は、先日参加した哲学カフェの模様を書いていきたいと思います。

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

 

◆「こうべふらんす哲学カフェ」とは?

ameblo.jp

 

「こうべふらんす哲学カフェ」は、

そもそも、哲学カフェって何をするところ?

ひとことで言うとゆっくり「考えるところ」です。 
一つのテーマについて、
辞書に定義が載っていたとしても、あえて既知を外して、ほんとうにそうだろうか?と疑い、ゼロから、もう一度いっしょにゆっくり対話しながらその疑いを吟味していきます。
他者の視点からあらたなものがみえてくるサプライズのお土産付き♪

 

というコンセプトで、主催者のjuperyさんにより月1ペースで続けられている、神戸の哲学カフェです。

私も何度か参加させてもらっており、今回は昨年9月以来の参加となりました。

 

◆この日のテーマは「意識に影響を与えるものってどんなこと?」

この日集まったのは途中参加も含めて12名程度だったと思います。

哲学カフェ初参戦の方も1名いらっしゃいました。

 

テーマはあらかじめ用意されていて、事前告知されていました。

この日のテーマは「意識に影響を与えるものってどんなこと?」

 

サブタイトルは、「意識が変わるのはどんなときか」

補足説明として、以下のような説明がなされていました。

意識が変わらないと、呼び方を変えても結局変わらない。

(例)浮浪者⇒ホームレス⇒野宿している人

のような例からも考えてみたいと思います

 

今回私、開始約10分前にカフェに入店したのですが、juperyさんに、「進行役しませんか?」というオファーがありまして、急遽、私が進行役を仰せつかることになってしまいました。

 

自分としては、進行自体は問題ないのですが、なにせ、久々の「こうべふらんす」ですし、テーマも何だか難しそう、、と不安を抱えたまま、哲学カフェは時間になったらスタートします。

 

◆「意識」の確認について

今回の哲学カフェを進行するにあたり、最も気になっていたのが、テーマにある「意識」という単語についてでした。

「意識を変える」というのは、日常使っている言葉とはいえ、「意識」という単語は、かなり幅広く使われているので、それぞれが思っている切り口で語り出すと、かみ合わない恐れがあるなぁと思いました。

なので、まず、「意識」という単語について、確認していくところからスタートしました。

 

①例えば、「意識不明」等に使われる医学的なもの。

②または、「あの子を意識してしまう」のような、使い方。

③はたまた、「意識が高い」というような、使い方。

それぞれに使い方は異なりますが、このテーマについては、②か③、どちらかというと③に近いような。

 

まず出てきたのが、意識=期待値という意見でした。

ストレートを意識して待っていたらフォークボールがやってきて三振。

「予測」ともいえなくもないですが、「考えていること」であることはわかります。

あるいは「注意を向ける」という言い方もできそうです。

 

次に、「見方、視点」という意見がありました。

ものを観るための「前提」ということもできます。

 

そこから、「常識」や「固定観念」といった単語がでてきます。

価値判断の基準とも言い換えることができそうです。

 

次に、「意識過剰」という使い方についての意見もありました。

「意識高い系」という言い方もありますが、ここにおける「意識」とはどうでしょう。

「自意識過剰」という言葉を考えると、自分に「注意が向いている」状態であるように思えます。

 

いっぽうで「職業意識」という意見もありました。

プロ意識やコスト意識、仕事の上での「意識」を考えると、結構使っていることも分かります。

注意を向け続ける、努力を続ける、という言い方もできるでしょうか。

「意識改革」なんて言い方もよく使われたりします。

 

などと、「意識」に対して検討しているうちに前半戦の終了時間が近づいてきましたので、いったん今回のテーマを「意識」し直すこととします。

テーマの例から考えると、「差別意識」のようなものを連想しますので、ここでの意識としては、「判断の前提」というイメージができたような気がしました。

 

後半戦では、意識を「変える」ということについて、哲学カフェは進んでいきます。

 

続きは日を改めて書いていきたいと思います。

では、また!