<「つられ懐かしい」という新語>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。
今日は前回の続きで
「懐かしい」
について書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆「レトロ○○」のようなもの
いわゆる「レトロ○○」のような、懐かしい雰囲気を醸し出している場所に来ると、実際の自分の思い出として持っていなくても「懐かしい」と感じるのはなぜか?という問いにいよいよ入っていきます。
これに当てはまるものは、ちびまる子ちゃんやサザエさん、三丁目の夕日、となりのトトロ、レトロ電車、西洋アンティーク、西部劇なんてのも出てきました。
「懐かしさの感情を呼び起こす『色』」という意見がありました。夕焼けの色、森や草の緑色。
「懐かしさの錯覚」という意見で盛り上がりました。
自分にとっての「思い出」はないけれど、これは「懐かしいものなんだ」という価値観を自分の中で刷り込んでいく。
親が「懐かしい」と言っているから、つられて「懐かしい」と思うようになっていく。
そんなこんなで「つられ懐かしい」という新語が生まれたのでした。
自分で興味を持ったジャンル、電車とか、時代劇とか、そういうものには「自分好みの懐かしさ」というのがあるのでは、という意見もありました。
◆「懐かしい」は必要か?
「子どもにとって、『懐かしい』はあるのか?」という意見から、話題が広がっていきました。
子どもにとっては、幼い頃は覚えておらず、さらに中断と呼べるものも少ないので、「懐かしい」は起こりません。
では、いつごろから「懐かしい」を覚えるのでしょうか?という問いがありました。
そこから、「懐かしい」って、どういう意味を持つのでしょうか?という問いに発展します。
「未来しか見ていない子供は、『懐かしい』が必要なくて、年をとってくると、『懐かしい』が必要になってくる」
という意見がありました。
肯定的な過去のふり返りである「懐かしい」は、安心感を呼び起こします。
年をとると未来への希望が減少してくるぶん、「懐かしい」が必要になってくるのでしょうか。
◆終わりです。
哲学カフェは話がまとまっていなくても、時間が来たら終わりです。というかまとまらせることにこだわらないのが哲学カフェです。
今回の哲学カフェは、世代が異なるメンバー同士、うまく違った経験や感想を組み合わせ、協力しながら進めていけた、なかなか好ましい展開だったという感想を持ちました。
以上、オンライン哲学カフェ「懐かしい」のレポートを終わりたいと思います。
ありがとうございました。
では、また!