<そうしない自由を持っている状態>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、この本の続きを書いていきたいと思います。
前回の内容はこちら。
◆感想続き
第3章では、統治とは個人個人の自己統治の組み合わせであるという考え方を受けて、近代における新しい権力の形についての分析がなされています。
ここでフーコーは自己統治のために参照される指標として「市場」を置きます。
つまり、自由競争市場にとって正しいものは「よい」、自由競争を妨げるものは「悪い」とするということです。
現在の価値基準や法律をみても、この考え方は馴染みやすいです。
社会の構成単位として「企業」を重視していて、国家は環境を整備して、企業の自由競争をアシストしているような状態です。
最後の第4章では、そういった統治の形を考えたうえで、権力というものについてもう少し考察を進めていきます。
ここまでくると、なかなか難しく、解釈が間違っているかもしれないですが、
政治が自由競争をアシストしているのだとすれば、政治の役割は、そういった自由競争によって次々と生まれてくる「新しいもの」を促すことになります。
しかし、そんな「新しいもの」は、既存の価値観に「そんなものはおかしい」と否定されてしまうもので、だからこそ政治は、今ある価値観や社会構造に「従わない自由」を守る技術である、ということだと自分は解釈しました。
個人の自由によって成り立っている世の中ですが、結果として個人の自由は権力の絡み合いであるために、真の自由とは今ある権力に従わない(=逆のことをする自由)であるということになるのかなと。
というところで、「ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方」の感想を終えたいと思います。
ありがとうございました。
では、また!