ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第88回「お正月」②

<それぞれの家で、やることは結構違う>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

今日は前回の続きで

 「お正月」

について書いていきたいと思います。

 

前回の内容はこちら。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆お正月は家族と過ごす

お正月は家族と親戚が集まって、お酒を飲んだりしてゆっくり過ごす、という話題がありました。

おせち料理は昔は保存がきくことを前提に作られていましたが今は酒のおつまみのようになっているように思う、と。

 

私の家ではお正月に親戚一同が集まってお酒を飲む習慣はありません。何故かといわれると、昔からそうだからとしか言えません。

これは一つの例ですが、お正月に関してはこと「昔からそうだから」という理由でそれほど深い意味はなくともやり続けていることが多いことに気づきます。

そして、それが地域ごと、さらには家ごとにけっこう違いがあるということも。

 

初詣の例が出てきましたが、12月31日の深夜に家を出てお参りに行くという習慣がある方もいれば、そんなことはせず、日が明けてからいつでも時間ができた時にお参りする家もあります。

「12月31日だけは子供も夜更かししてもいい」という決まり(?)があるということも聞きます。

 

◆年賀状に見る虚礼

若者だけでなく、年賀状をやめる人が多くなってきました。私もやめました。

お正月にまつわるさまざまな行事、それに一定の「意味」を感じてやっているのだろうか?という話題になりました。

 

年賀状に関しては、メッセージの交換はしなくても、ただ出して返ってくるだけにも、全く会っていない知人の安否確認や住所確認の意味はあります。

それでは、門松やしめ縄はどうでしょうか。鏡餅やしめ縄はかろうじてスーパーで買ったちっこい飾り程度のをしているかもしれませんが、門松となると、、。

意味実益で考えてしまうと、お正月はほとんど「やらなくていいもの」のオンパレードになってしまうのでは、とも感じましたね。

 

◆終わりです。

哲学カフェは2時間が来たら終わりです。話がまとまっていなくても終わります。残りは皆さんのお土産にもなります。

 

今回のテーマ「お正月」については、ツッコミどころが多いというだけでなく、メンバーそれぞれのお正月の過ごし方を話し合ったことでも、けっこうバラバラだなぁという感想を持ちました。

確固たる信念がない限り、周りがやっているなかで逆張りで「しない」のも面倒だし、ぐらいの気持ちもありますよね。

 

哲学カフェは日頃の「当たり前」をあえて疑っていく作業なので、この「当たり前」の代表格であるお正月に問いかけるのも、楽しかったです。

別に形式にこだわらなくてもいいし、今の自分にとってこれが大事でこれが大事でないと感じてやることを選んでいくのもいいかなとは感じましたね。

 

以上で、オンライン哲学カフェ「お正月」の振り返りを終わりたいと思います。

 

では、また!