みんなの日常哲学カフェ ~哲学カフェとか読書とか

哲学カフェの記録を中心に、読書記事も書いています

旧:ちくわのぴょんぴょん読書日記

オンライン哲学カフェ第88回「お正月」①

<どうして、日付が変わっただけで、おめでたいのか。>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第88回開催になります。

 

前回の第87回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

 

◆この日のテーマ

この日の参加者は7名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「お正月」

です。

 

0時になったら深夜でも「明けましておめでとうございます!」?

1月1日はどうしておめでたいの?

めちゃめちゃ混んでいるのに初詣?

年賀状の返事を書かないと後ろめたい?

そんなお正月に関する疑問やツッコミを自由に話してみる新年1発目の哲学カフェです。

では、哲学カフェ、スタートします。

 

◆どうして「おめでたい」?

まずは、「どうして1月1日はおめでたいのだろう?」という問いから。

「旧暦のお正月は、誕生日だから」

という意見から、

「みんな生き延びて、家族そろって、誕生日を迎えられましたね」

という感想になりました。

 

確かに昔は生き延びることが当たり前ではなかったし、そこを考えると喪中の場合は正月を祝うことができない理由も、理解できますね。

 

◆会った人に、「明けましておめでとうございます」

近所や職場などで、年明けに最初に会った時、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」というのはなんか気恥ずかしくないか、という意見がありました。

そして、あれは、何日まで言っていいのでしょうか。

言わないと、朝おはようございますと言わないのと同じぐらい気持ち悪いあの気持ちは何なのでしょうか。

 

年賀状に返事を書かないと気持ち悪い、そもそも年賀状を書かないと気持ち悪い、このへんの気持ちと同じでしょうか。

 

◆普段やらないこと、初○○

お正月なので、ということで、普段やらないことをやるということはたくさんあります。

「初日の出を見る」という意見がありました。

新年1回目の日の出はどこか神々しさを感じてしまうのは何故でしょうか。

いつもと変わらず、ただ日が昇ってくるだけです。

ただ日が昇ってくるだけなのに、新年1回目だから、「初日の出」という名前を付けて有難く拝む。これってどういうこと、とツッコむことができます。

 

それでいうと、まさに1月1日の0時に「あけましておめでとうございます!」って言うのは最たるものですね。

ただ時計がそうなっただけで、住んでいる地球にとっては一切の意味もない。

この、「区切りをつけたい」欲望とはいったい何なのでしょう。

 

「日が変わったというだけで、盛り上がれる手軽さは正月ならでは」

という意見が個人的には斬新だなと思ったのですが、「お正月=集まって盛り上がる」という習慣を定着させている方らしいですね。

このお正月=家族という部分から、少し話が展開しました。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!