<子供が言うことを聞かないという意味>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。
「誰のおかげで大きくなったと思ってるの!」
っていう親のセリフは、最近では言わなくなったでしょうかね。
まあ、これに対して、「ごめんなさい、お母さん、これからはまじめにします」っていう返しなどは無く、「産んでくれって言った覚えはありません!」って返されるのが普通です。
子供は親に産んでくれって言った覚えはないのはまったくの真実です。
でも、親も実は子供を産みたいって思って、自分の意志で産んだように思うかもしれませんが、全然そんなことは無くて、それは息をしたり食べ物を消化するのと同じように、何だかよくわからない人間の仕組みによって、子供を産みたいと思って、その結果産んだにすぎないのだと思います。
その親にしても、何だかよくわからないままこの世に産まれてしまったのですからね。
そう考えると、子供は何だかよくわからない人間の仕組みによって大きくなるだけです。
親子というのはたまたま自分が産んだからそのような関係で呼んでいるだけで、まったくの別人格の他人であるから、別に親が自分の子供を立派に育てなければいけないことはないし、だから子どもがいい子に育たないからといって、苛立つのは筋が違うと思います。
究極のところ、人間は「管」である、という考えを一定量支持している私にとっては、冒頭の親のセリフというものは全くのお門違いと思います。
(詳しくはこちら)
まあ、それはさておき、親が子供にこうなってほしいと求めることは、その大部分が親自身が子供が立派に育つことで自尊心が満たされる、そんな感情によるところが大きいのではないでしょうか。
(無償の愛というのも、もちろん否定はしません。)
自慢の息子とかいう場合なんかは、親が自慢してるだけですよね。
もしくは、子供にはいい人と結婚してもらって、自分が将来おじいちゃんおばあちゃんになって、豊かで温かい家庭で三世代過ごしたい、といった打算が働いているのでしょうか(さすがにもういないか)。
私がそうでないとは言ってません。むしろそういうところあると思うので(笑)
子供が思うように育たないのは、当たり前であるし、そもそも思うように育てようと思い事に意味がないというぐらいに考えるぐらいがいいのではないでしょうか♪
では、また!