ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第29回「フィクション」①

<人間だけに与えられた特権?>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

今回は第29回となります。

  

前回の第28回「癒し」の模様はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについて、みんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話しをしているわけではなく、「『普通』って何?」だとか、「『苦労』は買ってでもしたほうがいいの?」だとか、誰でも身近にありながら、答えがなかったり人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えない話題についてじっくり語り合うという活動です。

 

◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマは「フィクション」

この日の参加者は4名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回の進行役も、いつも通りひじき部長に務めていただきました。

私は、ZOOMのチャット画面にメモを残していく書記係を担当しました。

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「フィクション」

です。

  

 では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆楽しめるフィクションと楽しめないフィクション

今回の哲学カフェも、前回同様まずは、「問い」を作る時間から始めました。

・何のためにフィクションは存在するの?

・もしフィクションが無くなったら、世界はどうなるの?

・フィクションとノンフィクションの境界線は?

・楽しめるフィクションと楽しめないフィクションの要因は?

 

といった問いが参加メンバーから出てきます。

そして、誰かがそれらの中から、話を広げていく、そんな流れになります。

 

まず、話しやすいところから。

「楽しめるフィクション、楽しめないフィクション」という切り口から始まっていきました。

 

「イメージしにくいものはイマイチ楽しめない」

という意見がありました。

 

これは私も同感でした。フィクションにはSFやファンタジーなどのジャンルがありますが、あまり現実感がないよりも、実際の自分たちの暮らしに近いもののほうが没入できたりするものです。

作品中の「夢」の描写(体が溶けたり、飛んで行ったり)が苦手なのも、そのせいかなと考えたりします。

 

「映像として浮かびやすいもののほうが楽しめる」

活字の物語は、いつまでも映像として浮かんでこないものは結構苦痛になってきたりするものです。映画ならそんな心配はほとんどありませんが。

 

◆フィクションは何のために存在するのか?

温まってきたところで、そろそろ本題に入ってきます。

現代でフィクションというと、小説・映画・ドラマなど娯楽の意味で用いられることが多いですが、そもそもの起源について考えてみます。

 

そしてまっさきに思い浮かぶのが、「神話の世界」です。

地域によって異なれど、この世界は神々が創ったというところから始まることが多いですね。

それはなんのために?と考えると、

「わからないものになんとか説明をつけようとする」

というふうに考えられます。

 

人はどうして生まれて死ぬのか。自然科学の発展した現代においてさえ答えがない、むしろ科学が発展したからこそ「答えがない」という答えに至っていますが、「わからない」という不安に対するひとつの答えが神話であったと考えられます。

 

そして「宗教」。

神話と似たような性質かもしれませんが、こちらはおもに道徳的なところや心の安定をもたらしてくれています。

 

「血縁関係のない人たちが助け合うための手段」

という意見がありましたが、人間が地球の支配者としてふるまうことができているのもこのフィクションあってこそのものだというのは「サピエンス全史」に書いてありましたね。

 

フィクションを共有できるのは人間だけ。

言い換えればほかの動物は「なぜ生まれて死ぬのか?」なんて考えなくて済んでいるのに、人間だけがそんな余計なことを考えて思い悩んでいるのかもしれませんね。

(まぁ、ほかの動物がそんなこと考えてないのか、どうなのかは知りませんが)

 

◆それで、結局フィクションって何なんだ?

いったん本題に戻ってきて、もう少しこれについて考えます。

フィクションはなんだ?と考えるにあたり、「ではフィクションでないものはなんだ?」と考えてみます。

 

まぁ、「ノンフィクションだ」となるのですが、この先、意外と一筋縄ではいかなかったのです。少し長くなります。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、いったん時間となりましたので続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また! 

 

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