<そして戦後どうなったのかを考える>
おはようございます!ちくわです。
読書・読書会・哲学カフェが好きです。
この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。
今日は、昨日に引き続きこの本について書いていきたいと思います。
<内容紹介・感想・続き>
昨日は、この本の趣旨である、
「なぜ、独ソ戦はここまで空前絶後の犠牲者を出さなければならなかったのか?」
について、「世界観戦争」というひとつの特徴について書いてきました。
ヒトラーが描いた世界観、ゲルマン民族による生存圏構想を実現するために、他民族は排除せねばならなかったこと、東方に資源や農地を確保することは不可欠だったこと、ここが最大の要因でありました。
そのため、通常戦闘とは異なり絶滅が原則になったこと、それによりソ連側も同様に戦闘をしなければならなくなったこと。
さらに、ソ連側の人材不足により戦う体制が整っていなかったことでさらに犠牲者が増えてしまった、ということでした。
そして、「収奪戦争」です。ヒトラーにとって、形成が不利になってもこの戦争をやめることができなかった要因がここになります。
もともとこのドイツによるソ連侵攻は、北はフィンランドから南はコーカサス山脈まで、あまりにも広大な戦線であり、移動と補給の面から、スケジュール的に到底無理なものだったといいます。
だから、攻め込んだ土地で収奪を繰り返していかないと戦争を維持できない、当初からそんな状態だったようです。
この本の最後に分析として、
「『世界観戦争』と『収奪戦争』が次第に肥大化し、ドイツ軍の敗戦が決定的となった43年夏以降は通常戦争は完全に飲み込まれ『絶対戦争』へと変質した」
と記されていますが、まさにこの戦争が「ただ人を殺し続けなければならない戦争」になってしまったことを端的に表しています。
そして、第二次世界大戦における対ドイツ戦を一定に引き受ける格好となったソ連軍は形勢が有利になって以降は戦後の支配体制を確立するため、東欧の侵攻に精を出すことになりました。
戦後また対立することになる西欧との間に緩衝地帯を設けることは、広大な国境を持つ国にとっての防衛だったことがわかります。
その後、ソ連は崩壊しましたが、ウクライナやベラルーシ、バルト三国、ポーランドやフィンランドが戦後70年経てもこの地理により大国のはざまに立たされています。
これをきっかけに、「地政学」というものを知り学ぶことができました。その時の記事がこちらです。
自分の感想としては、独ソ戦がなぜ、ここまでの犠牲者を出したか、それがイデオロギーの衝突と、当初のお互いの軍事面の未熟さだったと理解できたところで、おそらく今後は二度とここまでの惨禍は起こらないだろうとは思いました。
しかし戦後70年経った今でも、まさに、戦車で他国を攻めていくという信じられないことも起こりますし、ミサイルを撃って他国を威嚇するということも日常的に行われていることを考えると、やはり戦争というのはいつまでたっても変わらない、ということも思ったりします。
まさに今のタイミングでこの本に出会い、戦史について総合的に学べたことは良かったと思います。
以上で感想を終わりたいと思います。
では、また!