ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第72回「ずるい」①

<「ずるい」にはツッコミどころがいっぱいあるぞ>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第72回開催になります。

 

前回の第71回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

  

◆この日のテーマ

この日の参加者は9名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつものごとく、ひじき氏が進行役、私ちくわはいつも通り書記役です。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「ずるい」

です。

 

自分は「ずるい」と思っても、それを「上手くやっているだけ」と言う人もいます。「ずる賢い」という言葉もありますね。ずるいと、ずるくないの境界線があるのでしょうか?「ずるい」の成立条件は?

 

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「ずるい行為」とは

まず、いつものごとく、「ずるい」の具体例から考えていきます。

具体例を検討していくことで、「これは、こういう事かな?」や「こういう場合はどうだろう?」という発言が出てきやすくなるので、最近は前半に積極的に具体例を出していくようにしています。

 

「ずるい」の具体例として、

転売行為、列に割り込む、カンニング、フライング、徹底したインコース攻め(野球)、痛めているひざを攻撃する(プロレス)、インサイダー取引、佐々木朗希のフォーク、ずるい勉強法、ずるいおつまみレシピ、、、

いろいろと上がってきます。

 

その中からまず、「転売行為」について、

「転売は、市場原理での中での行為なので、ずるいのか?」という意見が上がります。

ポケモンカードを子どもが買えないと言った出来事が直近であり、それに対し「ずるい」と感じることについて考えていくと、気付くことがあります。

 

転売がチケットなど法律で禁止されているものと、禁止されていないものについて分けて考えると、前者は「法律違反を犯しながら利益を得ていること」について「ずるい」と感じ、後者は「値段を吊り上げて儲けていること」について「ずるい」と感じているようで少し異なると感じました。

 

この「ルールを犯して」と「ルール的にはセーフだが」という問題については、また後半にも再登場してきて、今回の大切なポイントだったように思います。

 

◆「ずるい」は嫉妬なのか

「ずるい勉強法」という本の例から、

「ずるい」=「上手くやる」という言い換えができる例があることがわかります。

 

ある本に沿って勉強するとき、1~10まで順番通りやるのではなく、大事なポイントを押さえながら、不要と思うところを飛ばしたり、順番を前後させたり工夫することで時間を短縮できた人がいれば、それを「ずるい勉強法」と言うのはどうしてか、となります。

この例では、「工夫」という言葉が「ずるい」ということになります。

別に誰にも迷惑をかけていなようなことでも、「ずるい」と言ってしまうことがあります。

 

「嫉妬」という単語が出てきましたが、「ずるい」の背景に嫉妬があるものがある程度見受けられます。

「お金持ちの家に生まれて、ずるい」などの使われ方もあります。

 

◆その対価を不当と思う「ずるい」

「働かずに儲けている人」を「ずるい」と思う、という意見がありました。

これは、けっこう重要な指摘であるように思います。

 

そこには、先述の「ずるい勉強法」や「転売」にも共通している背景のように感じます。

「勤勉に働いて収入を得る」という規範意識は私たちの中にはあって、それと反する行為を「ずるい」と見做してしまう、という構図です。

 

しかしそこには、その規範意識がどうなのかという問題もあれば、そこから生じる「ずるい」はけっこう個人的なものであったり、的外れであったりするので、「ずるい」にはツッコミどころが多いということもわかります。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!