ちくわのぴょんぴょん読書日記 ~読書・読書会・哲学カフェ

読書・読書会・哲学・哲学カフェが好きな人間のブログ

主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第80回「優しさ」①

<優しさは受け手の評価であるのか>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

この何だかよくわからない人生に問い続け、その「わからなさ」を日々味わって楽しんでいきたいです。

 

私が参加していたある読書会の知り合い同士で始めた「哲学カフェ」。

2020年より主にオンラインの場に移し、「オンライン哲学カフェ」として楽しんでおります。(※今のところ、クローズドでの開催です)

今回は、第80回開催になります。

 

前回の第79回開催の記事はこちらになります。

chikuwamonaka.hatenablog.com

 

◆「哲学カフェ」とは?

哲学カフェとは、おもに身近なことがらについてテーマを1つ決め、それについてみんなで自由に意見を出し合う対話の場です。

「哲学」と書いていますが、ソクラテスやプラトン哲学がどうのといった話はほとんどしません。

私たちの哲学カフェで扱っているテーマは、「『普通』ってどういうこと?」だとか、「『自己責任』って結局何なの?」だとか、身近にありながら、答えがなかったり、人それぞれだったり、ふだんあえて時間をかけて考えたりあまりしない話題について、じっくり語り合っています。

そうすることによって、「あたりまえ」だったことに新しい側面を発見し、考え方・生き方に変化が起こることを楽しんでいければいいな、と考えています。

当哲学カフェはいわば「日常生活を哲学する」ことを目指しています。

 

◆「Zoom」を使っています

今回も、「Zoom」を使用。

「Zoom」はすっかりおなじみですがとても使いやすいオンライン会議アプリです。

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

 

◆この日のテーマ

この日の参加者は8名(「聞き専」含む)。時間は2時間です。

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

今回は、いつも通りひじき氏が進行役、私ちくわは書記役を担当しました。

 

この日のテーマも、メンバーの推薦により選ばれた

 「優しさ」

です。

 

優しい人って、どんな人でしょう?

優しさって、どういう時に成り立つのでしょう?

他人に求めている優しさとは?

親や指導者に求められる優しさってどんなもの?

では、実際出てきた意見と感想を簡単に書いていきたいと思います。

 

◆「優しさ」の具体例

まず、いつもの通り具体例から入っていきます。

・道を譲る、扉を押さえて通してあげる

・励ましの言葉をかける

・道を聞かれて答える、重い荷物を持ってあげる

 

こちらもよくやりますが、「優しくない人はどんな人と?」逆の例を考えるということです。

・冷たい人、困っていても助けない、相手の立場に立って考えない、

・すぐ怒る人、自分の価値観を押し付ける、許さない

 

ここから、優しさとは、相手の立場に立って、相手のしてほしいことを想像できて、行動に移すこと、そんな感じに言い換えができそうだと思いました。

 

◆「優しさ」と時間差

「後輩に情けをかけて、代わりにやってあげてしまった事は、本当に優しさだったのか?」という問いがありました。

その前に、「厳しさも、優しさだということがある」という意見があったのですが、これはどういうことか、について考えました。

 

その時点で、先輩は困っている後輩を助けたことは優しさのように見えますが、将来の成長機会を狭めている、というふうに考えると、それは優しさではないような気もします。

 

ここからは、「相手のしてほしいと思うことを想像する」というよりも「その人のために良いと思うことを想像する」と言い換えてもよさそうです。

そして、「その人のために良い」とは、現在の困りごとに対してなのか、将来の困りごとに対してなのか、当然その2つが摩擦を起こす場合もありえて、ひとつの行動に対して、優しさも変化するということがわかります。

 

◆受け手の問題か、送り手の問題か

「バワハラじみた厳しいだけの監督だったけど、教え子が感謝していたら優しさなのか?」という問いもありました。

これは、「優しさ」が受け手の評価であるということがわかります。

 

「ありがた迷惑」「良かれと思って」という言葉もあるように、行動の送り手は受け手の気持ちを「想像する」しかないので、そこにはギャップが生じることも当然あります。しかしその場合、「優しさ」は受け手の評価が優先されます。

 

ということは、優しさとは、「相手のしてほしいと思うことをしてあげられること」というよりも、「自分のしてほしいことを他人にしてもらえたこと」というふうに、受け手軸で考えたほうがよいのでは、と気付きました。

 

◆自己評価による優しさ

「釣った魚をリリースする」「釣った魚を猫にあげる」という例が出てきました。

これは魚や猫が「優しい」と思っているわけではなく、あくまで釣り人が判断する「優しさ」であり、自己評価の「優しさ」となります。

ここから、また話題は変化していきます。

 

哲学カフェはまだまだ続きますが、長くなってきましたので、続きは日を改めて書いていきたいと思います。

 

では、また!