主に読書メモ・読書会・哲学カフェについて書いています。

オンライン哲学カフェ第10回「消費と創造」①

<「消費」と「投資」>

 

おはようございます!ちくわです。

読書・読書会・哲学カフェが好きです。

新しい事、楽しい事は、何でも試して、失敗して、楽しんで。

 

私が参加している「彩ふ読書会」において、参加メンバーで作るグループ活動として開催しています、「オンライン哲学カフェ」。

着々と回を重ね、今回が10回目となります。

  

前回の第9回「仕事って何?人は何のために働くの?」の模様はこちら。 

chikuwamonaka.hatenablog.com

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◆今回も「Zoom」を使いました

今回も前回同様、「Zoom」を使用。

「Zoom」とはオンライン会議アプリで、「skype」をイメージしていただくと大体そんな感じで、とても使いやすいテレビ会議アプリです。

 

主催が会議を「○○日の●時~●時」とスケジュール設定すると、「会議ID」が発行され、参加者はPCのZoomホームページやスマホアプリから、その「会議ID」を入力するだけで、アカウントを作る必要も無く、簡単に参加できます。

音質もクリアでノイズやハウリングもほとんどなく、良いですよ。

 

◆この日のテーマは「消費と創造」

この日の参加者は10名。時間は2時間です。

 

オンラインにおいても、実際の哲学カフェのように、進行役を決め、1人ずつしゃべる方式にしています。

しかしながら一部の人しか画像を映していないため、挙手が見えないので、発言したい人は「ハイ○○です。」と言い、進行役が指名するという感じにしています。

(画面を見ていると誰がしゃべったか大体わかるんです)

 

今回はいつものごとく、進行役はひじきさん、私はいつもどおり書記を務めさせていただきました。

 

この日のテーマは、開始前にメンバーから提案のあったもので、こちらです。

今日は 「消費と創造」

 

ちょっとテーマが経済寄りなのかなぁって思いましたが、どうなったでしょうか?

 

◆現代人は「消費」ばかりしている?

 

まず、今回は、お題を提案してくれたメンバーの想いから、語ってもらいました。

 

・現代人は「消費」ばかりで「創造」をしていると思う

・お金を持つと、「消費」に走って「創造」をしなくなっていないか?

 

なるほど、確かに昨今は大量消費社会とも言われるように、うかうかしているとすぐに企業が作った「消費の罠」にかかってしまいます。

よほど気を付けていないと、貴重な自分のお金や時間を「消費の罠」に吸い込まれてしまいそうな感覚です。

 

しかしここで、2つの問いが生まれます。

・「消費」って、どうして悪者のようになっているの?

・「創造」は「消費」の反対の言葉なの?

 

まずは、この問いについて考えていきたいと思います。

 

◆「消費」ってどうして悪者のようになっているの?

まず、「消費」って何でしょう?

言葉の意味としては、「何かを買ってきて使う、体験する」ということになります。

米を食べる、水を飲む、服を着る、洗剤で洗う、といったモノの消費から、映画を観る、音楽を聴く、電車に乗る、といった無形の体験(サービス)の消費まで、さまざまなものを消費しています。

 

では、どうしてそんな現代社会で当たり前のことが「悪い」イメージをもっているのでしょう?

 

参加者から「消費」と「投資」に分けてみるとわかりやすいという発言がありました。

 

奮発して綺麗な服を着たほうが、そうしないより自分を美しく見せて、他人からの印象が良くなり、自分にとって得をすることが多くなります。

勉強やトレーニングなども、「投資」のグループに入るんではないでしょうか。

 

いっぽうで「消費」は、使い終わるとその後に何も残らない行動です。

1万円のシャンパンを飲んでしまうと、後には何も残りません。(厳密に言うと栄養や良かった記憶は残りますが)

 

このように考えると、後に「何か」が残るものが「善」で残らないのが「悪」であるという分け方ができるのでしょうか。

 

「有意義」という言葉があります。

有意義な時間を過ごした、今やっていることは有意義だ、なんて言います。

 

こうやって考えると、「未来のために」取っている行動が、「良い」とされ、「いまを消費する」行動が「悪い」とされるようですが、本当にそうなのでしょうか?

イクラの寿司を食べるのが悪で、替わりに鶏のササミを食べることが善なのでしょうか。

ドラゴンを育てる携帯のパズルゲームが悪で、脳トレになる携帯ゲームが善なのでしょうか?

 

まぁ、確かにどんなにすばらしいことをした人間でも、死んでしまったら等しく焼かれて灰になるだけなので、「生きている間は、ずっと楽しけりゃそれいいじゃん」という考え方に立つと、ドラゴンを育てる携帯のパズルゲームを決して悪と断じることはできません。

 

ドラゴンを育てる携帯のパズルゲームがどうして悪かと考えていくとここでもうひとつの分け方ができます。

それは、刺激に反応しているだけか、自分が決めて行動しているか、だと思います。

 

ドラゴンを育てる携帯のパズルゲームは、またやりたくなるような仕掛けが、何十・何百と仕掛けられていて、一歩その泥沼にハマってしまうと、なかなか抜け出せないようになっています。

楽しいからやっていた、その時間が、いつの間にかその仕掛けの中で踊らされているだけの自分になってしまっているのです。

 

流行の服を追い求めて、毎年毎年服を買わないと落ち着かない人も、同じかもしれません。

 

ドラゴンを育てる携帯のパズルゲームも、自分は「指先のトレーニングのために1日30分やっているんだ!」とか、「対戦仲間を増やして、交流したいんだ!」と、目的をもって自分で決めてやっているのならば、「善」ですが、運営の罠の中で踊らされ課金ばかりしているだけなら「悪」だと思います。

 

たとえ話が長くなりましたが、最初の問いに戻って「消費」のイメージが良くないのは、供給過剰気味の物やサービスがあって、消費者が自分基準で考えて選ぶ前に、企業が仕掛ける罠によって選ばされてしまう、というところにあるのではないか、と考えるに至ったのです。

 

2つ目の問い、「創造」との関係については、まだなんにも語ってないですね。

 

とりあえず、時間が来ましたので、続きは日を改めて。

 

では、また!

 

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